HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


In 10 2013

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Category: ルーマニア(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ルーマニア。ブラショフ編

11月06日、イランツアーから何とか自宅に帰り着いた、自宅を出てから帰宅まで12日間、相対的な感想は只『疲れた』だった。自分の様な自由な放浪の旅を続けて居る者にとって、朝から晩までスケジュールがびっしり詰まったツアーは体にきつい、このところ体力も落ちており、もうツアーは無理と悟った。

沢山撮ってきた写真を見てBlog仁上げる物を選んでいる、ブログで公表するまで数日かかるだろう。イランに行くと言ったら危険では無いかと誰もが言う。多くの日本人が誤解をしている。イランは現在は安定していて平和な国だ。対米関係が悪かったので日本にはアメリカからの一方的情報しか入ったこないので誤解をしているのだろう。

今回イランを訪れて疲れたけれども、出発前より帰国時にいっそう好印象を持って帰り着いたことがうれしい。

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ルーマニア ブラショフ (ROMANIA Brasov)

ルーマニア地図2

切符1

ルーマニアの鉄道切符、ヨーロッパではは同じ様式のキップが多いいが、この国だけは特別の様式だった


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ルーマニアのブラショフ駅

2012年09月30日、モルドバのキシナウ駅から夜行寝台列車でルーマニアに向かった。10月01日朝ブカレストに入った。このブカレストのノルド駅ですぐにブラショフ行きの切符を買い、午前中にブラショフに移動した。

ブラショフ、人口28万人。ここは中世の街並を残す古都である。12世紀にドイツ商人が建設し、ルーマニア人、ハンガリー人の3民族によって発展して来た。街を歩いているとドイツの香りが強く感ぜられた街である。

この駅近辺は新市街地で泊まったユースは旧市街地の中にあった。駅で列車を降り、駅前のバス乗り場でバスを待っていると、中年の男性が近づいてきて今夜は何処に泊まるのかと聞いてきた。私たちが予約を入れていたホステル名を言うと、なんとこの人はそのホステルのオーナーだった。今宿泊客の為の食材を買うために新市街地に出て来たという。ホステルまでの行き方を詳しく教えてくれた。ここのバス停から18番のバスに乗って終点で降りると目の前だという。無事ホステルに到着することが出来た。

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ブラショフは『吸血鬼ドラキュラ』で有名なブラン城を観光する拠点の都市だ、ここブラショフに4泊した。

Gabriel Hostel、張り込んでツインの部屋を予約、これは久しぶりにバスタブのある部屋を求めたからだった、それにキルギスから同行していたAさんとここの宿泊を最後に、ブラショフで分かれてまた単独の旅に戻ることにしていたからだった。部屋に入ってビックリ、部屋には2段ベットが2ツ有り、すなわち4人部屋に2人しか入れず、これをツインという。まあ安いので納得した、1人1泊9ユーロー(この時1ユーローは95円、すなわち1泊855円)。ここの2階部分に部屋は有った。

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聖ニコラエ教会。
写真中央の尖塔の有る建物。今回泊まったガブリエル、ホステルは旧市街地の中心から徒歩で15分程度のスケイ地区に有った。

スケイ地区とは、ブラショフがドイツ移民によって建設された当時、先住のルーマニア人達が移住を余儀なくされて移った地域で現在も残るスケイ門に寄って中心街と隔てられていた。当時、ルーマニア人は特別な許可が無ければこの門から街へ入ることが出来なかったという。ここは統一広場と称された小さな広場が有る。

YHから緩やかな石畳の下り坂を歩いてこの広場に入る。翌日、この広場のオープンカフェでコーヒーのを呑んでこの中世ドイツの面影を残す街を楽しんだ。

教会の向こうの山の上に『BRASOV』と書かれた大きな白い看板が有り、下の旧市街からケーブルカーで上がることが出来た。

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周りの建物の出窓には花が飾られており、時間が緩やかに流れていた。

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聖ニコラエ教会。

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旧市街地の中心の スファトゥルイ広場に面した建物群。

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子のに広場の周りの建物の多くはレストランになっており、建物前はオープンカフェが連なっており、観光客が群がっていた。

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スファトゥルイ広場のランドマーク、旧市庁舎。

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午後6時の鐘がなり出すとこの塔の時計の下に3人のラッパ手が出て来て一斉にラッパを吹き出した・

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広場のオープンカフェ。

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夕方になると毎日の様にここのカフェでビールを飲みながら東ヨーロッパの古都の雰囲気に浸っていた。

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夕暮れが近づきこの広場に中世のコスチォームを着た一団が入ってきた。

ブラン城1への地図

ブラショフ滞在2日目。南西約30Kmに有る『吸血鬼ドラキュラ』の居城のモデホルとなったブラン城にバスで出かけてみた。

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ブラン城はブチェジ山麓に有るブラン村の山頂ににそびえ立つ典型的な中世の城砦で有る、写真の山の上に少し見えている城が其れである。下の村は完全に観光地化されていてお土産屋が連なっていて興ざめだった。

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山の麓に会った古いドイツ風の農家の建物。

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以下、ブラン城の内部。

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ブラン城から下の村に降りて来て、ブラン村のレストランで昼食をとる。ここのオープンカフェの前にあったペンション。

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ブラン城からブラショフに帰る途中ルシュノフ要塞に立ち寄ってみた。

ブラショフからブランに向かう途中で約15Kmの地点にある小高い山の山頂にある要塞。世界遺産では無いがトセンシルバニアを代表する大要塞である。ザクセン人によって異民族の侵略に備えて作られた。15世紀には最も堅固な要塞の一つとして知られていた。

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要塞内を見回っていたらヨーロッパ中世の古武士が現れた、対戦するは日本の古武士、居合抜き3段のAさん。さて、対戦はどちらが勝利したか?

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ブラショフ滞在4日目、ブラショフの裏山にケーブルカーで上がってみた。下にはブラショフの街が広がっている。

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10月4日の夕方、またスファトゥルイ広場に出かけて、暮れなずむこのヨーロッパの古都でAさんとの別れの宴を開いた。長かった2人旅は、明日は別れの日だ。私はここブラショフからシギショアラに向け列車で移動。Aさんは私より1時間後で同じく列車でハンガリーのブタペストに向かう。最後のビールを飲み交わした。

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ブラショフからシギショアラに向かう列車は混でいたが私は座席指定でゆっくりと車窓の景色を楽しむ事が出来た。






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Category: 沿ドニエストル(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、沿ドニエストル共和国編

10月23日、午前10時現在外気温+13度、曇り。

昨夜はベットに入ってから本を読み出して気がついたら朝の2時になっていて、急いで寝たが7時半には目が覚めてしまって未だどうもスッキリしない、寝不足だ。

沿ドニエストル (Pridnestrovian Moldavian Republic)

モルドハ、キシナウ滞在中の27日、自称沿ドニエストル共和国の首都と言われてるティラスポリまでマルシュルートカで日帰りして来た。

モルドバ地図2

このBlogを見た人で、沿トニエストルと言う国を知っている人はほとんど居ないものと思います。私の今度の旅ではこの沿ドニエストル潜入が第二の目標でした(第一はもちろんロカ岬到達)。奇人変人の私はこのような怪しげな地を訪れる事に非常に興味が有ります。これからも機会があったらもっと行きたいと思って居ます。

沿ドニエストルとはどんな国か

沿ドニエストルはモルドバ共和国の東を流れるドニエストル川の東側にあり、南北約200Km、東西広いところで20Km、狭いところで4Kmしかない国である。人口は62万、首都ティラスポリの人口は約15万である。

ソ連邦が崩壊する少し前からこの地域の住民の中からモルドバ社会主義共和国から独立運動が始まっていたがソ連政府から独立を認められなかった。

1991年にモルドバ共和国が独立を宣言モルドバ人の間ではルーマニア民族主義が台頭、新生モルドバの国旗はほとんどルーマニア国旗ど同じ、公用語となったモルドバ語(ルーマニア語)は従来のキリル文字からラテン文字に変わり、ルーマニアに併合して貰おうとする主張も現れだした。

一方ドニエストルの東側は歴史的にもルーマニア領だったこともなく、モルドバがルーマニア領だったときもソ連領だった。ここに住むロシア人がモルドバ政府のルーマニア化に猛反発、1991年11月5日、この地域のロシア人が中心となり沿ドニエストル共和国の独立を宣言、これを認めないモルドバ政府軍との間で戦闘となる。

このドニエストル川の東側に駐屯していたロシア軍が独立派側を支援、半年にわたる戦闘で独立派側が勝利。1992年7月モルドバと沿トニエストルとの間で停戦が成立した。

しかしこの戦闘で味方となって戦ったロシアさえも独立は承認せず、国連加入国で独立を承認した国はない。(この国の事情とにたグルジアのアブハジア、アゼルバイジャンのナゴルノカラバフだけが独立を承認している)。

現在は沿ドニエストル共和国政府がこの地方を実効支配している。この地域はモルドバの中でも工業が発達しており、電力の90%がここで発電されており、モルドバよりずっと豊かな地域である。

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朝10時ころ、バスセンターに行ってテラスポリ行きのマルシュルートカで出発した。1時間半ほどは達って停戦ラインに着いた、このラインを挟んで両軍の監視所がある、モルドバ側ではパスポートや身分証明書を集めていき監視所でチェックしたようだ。もちろん出国スタンプなど無い。モルドバ側では独立を認めていないのだから、自国内の通過に過ぎない。

沿ドニエストル側に入ると入国管理所(イミグレーション)があり、入国審査があった。此処は悪名が高いイミグレで賄賂要求があると聞かされていた。管理官がマルシュルートカに入ってきて乗客のポスポート(旧ソ連圏では国内だけで通用するパスポートを国民全員が持って居る)を集めていき、入国スタンプを押して車まで持ってきて返しだした。

私のパスポートは返してくれない、そのうちに係官がやって来て私だけを呼び出して出入国管理所まで出頭するように告げられた。来たー、賄賂要求かと覚悟して事務所に出頭。先客が居た、教会関係者の様な老夫妻。聞いて居るとロシア語で金銭でもめているようだ、たぶん賄賂の要求の様だ、いよいよと覚悟した。

私の番なると日本人か、ロシア語は判るかと聞く、珍しいという。仕事か観光かと聞く、今日は何処に泊まるのかと聞かれたので夕方までにはキシナウに帰ると言ったらパスポートにスタンプを押して、車に戻って良いとつげられた。拍子抜けだった。夕方帰るときも出国スタンプを押して停戦ラインを越えてきた。モルドバ側はパスポートを見るだけ。

他の国から沿ドニエストルを経由してモルドバに入国する場合の問題点。

ウクライナ→沿ドニエストル→モルドバ、この様に移動した場合。まずウクライナで出国処理がおこなわれ出国スタンプが押される。沿ドニエストルに入ると入国スタンプが押される。モルドバとの停戦ラインは沿ドニエストルに撮っては国境、もちろんイミグレもあり出国スタンプが押される。停戦ラインを越えてモルドバ側にはいる。
モルドハにとっては沿ドニエストルという国はない、従ってここは国境でもない、イミグレはもちろん無い、自国領内の単なる移動だ、従って入国スタンプなどもちろん押さない。

問題はモルドバを出国するときに発生する。出入国管理官はパスポートをみてモルドバに入国したスタンプが無いので不法入国と見なす。別室に呼ばれて取り調べとなる。私はこれが判っていたのでウクライナからの入国時この国を通らないルートを選んだのである。

一旦法にもとづいて入国した後は沿ドニエストルに行って帰って来ても、モルドバとしては国内移動なので何ら問題とならない。

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このマルシュルートカで往復した。車の窓の表示はロシアごでテラスポリと書いてある

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テラスポリ駅前広場、キシナウからのマルシュルートカは此処が終点いで帰りも此処から乗り込む。

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通りの標識、キシナウへ76Km オデッサへ102Kmと書いてある

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スーパーマーケット。

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中ほどの赤い文字は『テラスポリは沿ドニエストルの首都だ』と書いてある。

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この国はロシア人の国というよりは、ソ連への回帰で作られたような国だった。『幻のソ連が生き続けている国』とまで言われて居る国だ。国旗にも国章にも釜とハンマー。街に流れている音楽も1970年代にソ連の街中で流れていた国威発揚調の音楽だった。

只通貨も自国独自の通貨を発行し、スーパーもモルドバより品揃えが良かった。街中の文字もモルドバと違ってキリル文字のロシア語一色だ、人々もロシア語を話している。

でも、沿ドニエストルの民族比はモルドバ人40% ウクライナ人25%ロシア人23%ダそうだ。



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街中を歩いて居たらこんなポスターがあった9月29日にばんざい日本パーテーという物があったようだ。

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Category: モルドバ(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、モルドバ、キシナウ編

10月22日、天気は晴れ、午前中図書館に行って借りていた本を返して来た。

モルト゜パ キシナウ (MORDOVA Chisinau)

モルドバ地図


キシニョフと書かれているものも有るが、これはこの地名のロシア語読み。以前旧ソ連邦を構成していたⅠ共和国時代はロシア語読みで、キシニョフと言われていたが、連邦を離脱して独立後はモルドバ語のキシナウと呼称している。

モリドバ共和国の首都、人口66万。この国はヨーロッパの最貧国と言われている。一人あたりの国民総所得は1,810$である

10月26日、ウクライナのオデッサからモルドバのキシナウにマルシュルートカで移動した。この国の東側を流れているドニエストル河の東側の地域には沿ドニエストルと言う自称独立国が存在し、この領土を通過してモルドバに入国すると問題がおこる。従って沿ドニエストルには入らずに、南からモルドバに入った、この件については次回の沿ドニエストル編で詳しく書くつもりだ。

キシナウに着いて市内を走っているマルシュルートカに乗り換えようとすると、この日はストライキで動いていない。仕方なくタクシーで移動した。

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キシナウで泊まって居たYH。Chisinau Hostel、10ベット、ミックス、ドミ。1泊10ユーロー日本円で950円、この時1ユーローは95円。9月26日から29日まで4泊。

この建物の向かって右側がユース、朝食無し。入り口の外に椅子と灰皿がある、食後いつも此処で猫を抱いてタバコをすっていた。

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ユースの玄関をでた目の前の風景。街の中心部からバスで30分ほど走ってくる。ユースから5分程度歩いたところに大きなショッピングモールあり、便利だった。

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中には台所が有り、その後ろにダイニングテーブルあり、下のショッピングモールで買ってきた食材で朝食を作って食べていた。最初の朝飯を食べていたら開けはなれていた玄関のドアから2匹の猫が食堂に入ってきてテーブルの下に座り込んだ、猫狂の私は食べていたハンとハムそれに皿を持ってきて牛乳をやった。

猫たちは食事を終え帰りかけたとき受付の若い姉ちゃんたちに見つかり、丸めた新聞紙でぶたれ、急いで逃げ出していった。その後食事の時間になると猫たちは玄関の外で私の姿を待って、私が食堂に入ると素早く食堂の中に飛び込んできて私の椅子の下に隠れる。私も猫も食事を終えると、私は玄関の前に置いてある椅子に座って食後のタバコを吸い始める、猫は私の足の上に乗ってきて、ゴロゴロとのどを流しながら、至福の時間を過ごす。

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街中を歩いて居るとノミの市があちこちで開かれている。ヨーロッパの最貧国と言われる状態がよくわかる。着古した下着なども並べられている。靴が片方だけとか動かない時計など、買う人が居るのだろうか?

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たまにはこんな近代的なビルもあった。

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郵便局

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キシナウの駅。

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駅の時刻表にはまだロシア語で書かれている物もあった・駅の窓口ではロシア語が通じた。

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10月30日ここキシナウの駅から寝台列車の夜行でルーマニアのブカレストに移動した。





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Category: ウクライナ(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ウクライナ、オデッサ編

10月21日。どうやら台風は25日には関東地方には達しないようだ。25日出発は何とかなりそう。

ウクライナ オデッサ (UKRAINE Odesa)

「黒海の真珠」と呼ばれる港町街、ここからルーマニア、ブルガリア、ギリシア、トルコなどに船が出て入る。人口99万人。日本の横浜とは姉妹都市である。

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オデッサの駅

キエフからオデッサには日中移動となった。キエフを出たとき木々にいくらか紅葉の気配があったがオデッサに南下するに従ってまた夏の様相に変化してきた。それにしてもウイライナの大平原は広い、列車で何時間も走っても車窓の外はうねうねとした畑ばかりが広がっている。

夕方暗くなってからオデッサに到着した。此処でおもしろい経験をした。トラムに乗ろうとしたが駅前にはトラムの乗り場が分かれて何カ所もある。仕方が無いので駅前のベンチに腰掛けて井戸端会議中のお婆ちゃん達にどの乗り場から乗ったら良いか聞いてみた。

3.4人のお婆ちゃんが集まってきて、ああでも無い、こうでも無いと世話を焼いてくれる。でもその言葉のなまりがきつくなかなか判らない。20分程度話をしていてどうやら判った。

『お婆ちゃん方にちょっと聞くのだけれど、今話してくれた言葉ってウクライナ語なの、なまりがきつくてよく聞き取れないのだけれど』と聞くと、『私たちは半年前にブルガリアから来たばかりで、ウクライナ語なんて判らないよ。今話をしているのはブルガリア語だよ』と言うのです。びっくり。

私のへたくそなロシア語と婆ちゃん達のブルガリア語でなんとかコミュニケーションがとれたのだ。ブルガリア語は南スラブ語の一種でロシア語に近い言語。お婆ちゃん達がネー、ネー、を頻発する。なーんだ、これって、ロシア語のニェットだったんだー。これだから旅でお爺ちゃん、お婆ちゃんとふれあうのが面白くて止められなくなるのだ。

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駅前の通り。この街には23日から3泊した。泊まったところはLafa Hostel 一泊100UAH(グリナプ)約1,100円。

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ここがかの有名なポチョムキンの階段

ソビエト映画史上で最も有名な、エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年)の一シーン。泣き叫ぶ赤ん坊を乗せた乳母車がこの階段を落ちていく場面は強烈だった。戦後私もこの映画をみてまだ記憶に残っている。

面白いことにこの階段を上から見ると踊り場しか見えない。下から見あげると階段だけで踊り場は見えない。

この階段を下りて埠頭に行くと構内を航行する遊覧船乗り場がある。1,700円もしたが天気も良いので港内を見て回った。

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9月25日だというのに黒海の砂浜には海水客が甲羅干しをしていた。

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Category: ウクライナ(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ウクライナ、キエフ編

10月20日(日)、秋が深まってきている、今朝も起きてすぐストーブに火を入れる。

起きて、TVのスイッチを入れる。台風の進路が心配だ。25日午後2時に新千歳から羽田へ、その後午後22時半に成田からドーハに飛び立つ予定。ちょうどこの頃台風27号が日本を通過しそう。うーん、なんとか逸れてほしい。

ウクライナ キエフ (UKRAINE KYIV)  

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国境で台車を取り替えた列車はウクライナの大平原を東に進む。現地時間朝6時頃東の空に太陽が上がりだした。

ウクライナの地図

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まだキエフ到着には幾分時間もあるのに大きな街についた、キエフの郊外にある駅のようだった、美しい駅舎だ。

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2012年9月18日午前、列車は隣国ポーランドからウクライナの首都キエフの駅構内に入って来た。

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キエフ駅のプラットホーム

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キエフ駅のコンコース

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駅の出口

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ВОКЗАЛ この表示はロシア語(ウクライナ語も同じ)で駅の意、 ヴァクザールと発音する、ロシア語圏の各地の駅には駅前の表示がこのように素っ気なくただ駅としか表示されていない。この裏のプラットホーム側から駅の建物を見るとその都市名が書かれている。下のЦЕНТРАЛЬНИЙの表示はツェントラールヌイと発音し中央の意。すなわち中央駅と書いてある。

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駅の出口を出ると目の前に美しい教会が現れた

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鉄道駅の出口を出ると左側に地下鉄駅の入り口があった。netで予約を入れてあるYHは12時からチェックイン可能。すぐ此処から地下鉄に乗り換えYHに向かった。

キエフ2

今夜泊まる予定のHostel Really Central Kieyは キエフ駅前のメトロ駅から1つ先のチャートラーリナヤ(劇場駅)を上がってすぐ、地下鉄駅を上がって少し探した、ここのYHも大きな看板は出ていない。

大きな建物の小さな入り口を入って中庭の向こうの入り口に葉書大の紙にYHの名前が書いてあった、3階に上がってドアに張られている紙にもユースの名前があった。 ドミートリイ、ミックス、6ベット が最安値1泊8ユーロ、この時1ユーロ、92円、日本円で一泊736円、こんなに安いのだからユース泊まりは止められない。このユースには4泊もしてしまった。

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地下鉄チャートラーリナヤ駅を出ると繁華街に出た、周りには大きな建物が建っていた、街は繁栄しているようだ。

キエフは1500年あまりの歴史をもつ東スラブ随一の古都である。「ルーシ(東スラブ)諸都市の母」と称えられ、現在もウクライナの首都として人口270万の大都市だ。

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キエフ到着日翌日から街の中を歩き回った。

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この街の中心部にある独立広場。泊まって居たユースからも歩いて行ける距離だ。

この独立広場を一人で夜遅くまでほっつき歩いて居た。8時過ぎに若い20代の女性が近寄ってきて、直訳すると『あなたは私を必要としないか』と聞いてきた、『必要としない』と答えておいた。こんどの旅では上海以来2度目の誘いだった。

また夕方、広場に集まっている大道芸の集まりで、私の承諾を受けず勝手に私の肩に大きな鷲を止まらせて、この鷲はあなたを気に入っている、えさ代を払えと言う、50ユーロだと言う、這々の体で逃げ出した。

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この建物は郵便局。

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この時期選挙が近いのか、町角にテントを張って各政治団体が活発に政治宣伝をしていた。共産党もある一定の力を持っているのか?。やはりこの時はチェモシェンコ一派が最も活発のようだ。彼女も今では失脚している。

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キエフ街の中心部はドニエプル河の西岸の高台に有るので。地下鉄に乗ってこの河岸に行ってみた。

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ここの地下鉄も地下100m近くにあった、エスカレーターがごうごうと音をたてながら猛烈なスピードで地下鉄のホームに降りていく。

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ドニエプル河の西岸に乱立しているキューポラはベチェールスカヤ大修道院の建物群、深い森の中に乱立している

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ベーチェルスカーヤ大修道院。

ドニエプル川沿いの深い森の中に広がる、東スラブで最も長い歴史を持つ修道院。ロシア正教文化の源泉に毎年多くの観光客が押し寄せているようだ。
 修道院の歴史は1051年、ギリシアの僧アントニオスとフェオドスイが河岸の洞窟で修道生活を営んだことに始まる。この洞窟を意味する『ベェーラ』がそのまま修道院の名前となった。


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ベチェールスカ大修道院の向こうに並んでの川岸に大祖国戦争歴史博物館があった。

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翌日の移動に備えキップを買うためにキエフ駅に出かけた。駅前で日本人のバックパッカーに出会った。まだ若い女性、イギリス人の若いバックパッカー、駅での切符を買うのに手助けをした。右側は同行のAさん。この先の旅の成功を祈って分かれた。

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キエフ駅の待合室

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キエフ駅の構内

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さあ、この列車に乗って次の街、オデッサへ、このように外国の駅のホームは低く出来ている場合が多い、大きなスーツケースやリュックを列車に積み込むにはたいへんだ。













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Category: ポーランド(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ポーランド、アウシュビッツ編

2012年09月15日、クラコフ滞在2日目、バスセンターに出かけアウシュビッツ行きのバスに乗った。1時間半程度でオシフィエンチム市に到着。アウシュビッツ強制収容所はこの市の郊外にあった。

アウシュビッツ強制収容所 Wikipediaより。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(独: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、波: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)は、ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所である。

アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。公式な分類ではないが、日本ではいわゆる「負の世界遺産」に分類されることがしばしばである[1]。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。


一日この世界遺産を見て回ったが、クラコフに帰り着いても一日胸がむかむかして気分が悪かった。人間は本当にこのように狂い得るのか?
2009年にウズベキスタンのサマルガドを訪れた、この古都の郊外に13世紀にジンギスハーンの軍隊に破壊尽くされた旧都の跡があった、約30万の住民を殺戮し尽くし街を破壊し尽くした跡は小高い丘として残って居た、この時も人間の狂気の業に只呆然として、言葉も出なかった。このボーランドの地でも同じ思いに至った。

建物内には遺品が沢山陳列されていたが、胸が悪くなり写真を撮る気にはならなかった。もう二度とこの地には来たくない。

ほとんど写真の説明を入れません。思い出しても気持ちが暗くなる。

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管理事務所の入り口、ここでチケットを買い、ガイド(1説明員が20名程度受け持つ、説明言語別に班分けされる)に付いて見て回る。この日ロシア語のガイドは昼からだったので、英語のガイドについて回った。カイドの胸元にマイクが有り、各人はイャホーンを掛けて説明を聞く。

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この小さい穴は防空壕、

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死の門。

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Category: ポーランド(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ポーランド、クラコフ編

2012年の長かった旅から帰った後、鬱状態に落ち込みBlogの更新を中止していました。1年も過ぎようとしていますがやっと少し気力が戻りかけ、1週間ほど前から膨大な写真を手を入れ、UPする写真を選択し終えました。

実は、ロシアのサンクトペテルブルグからフインランドに入り、その後バルト3国を通過ポーランドのワルシャワに入りましたがこの間に撮った写真のSDカードが帰宅後何処にしまい込んだか、出て来ません。従ってこの間の写真は後日SDカードが出て来たときにUPすることし、ポーランドのクラコフ滞在からBlogを再開したいと思って居ます。たいへん無様な状態ですが、ご了承くださいませ、ませ。

ポーランド クラコフ (Poland krakow)

地図1

2012年09月15日17時頃、ワルシャワからクラコフに列車で入りました。バルト3国はほとんど鉄道が動いていない状況で、バスでの移動が通常になっていました、ワルシャワに入ってやっと鉄道が当たり前に走っている国に入った状況で、久しぶりの列車移動でした。

この街はポーランド第二の古都で16世紀までポーランドの首都でした、今は人口約75万程度の歴史有る都市です。
この街に降り立ったのは同行のAさんが是非アウシュビッツに行きたいと申し出があったからでした。
アウシュビッツにはこのクラコフを拠点に見学バスが頻繁に出て居ます、1時間半程度で行く事ができました。

ポーランドに入りYHの予約は同行のAさんに任せることにしました。フインランドを除きカザフスタンからエストニアまでロシア語圏だったので、私が予約を担当していました。ポーランドに入り一般的にはロシア語が通じなくなったので任せることにしたのです。

泊まったところはBenedect Hostel、予約をネットで入れて貰ったがクラコフに夜到着してYHを探すのは結局私の役目になった。1泊837円、9ベットのドミ、ミックス、最安値。3階のYHに入るとお客様でうなっていた。ビックリしたのは3段ベット、私は最上階、毎夜あがったり降りたり。3段ベットは初めて、これ以後にも無かった。

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クラコフ駅のホーム

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この広場は観光客でいつも賑わっている。

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聖マリア教会。

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中央広場のオープンカフェで食べたサラダとビール、普段はスパーマーケットに行きハン、牛乳、チーズ、ハムなどを買い込んできてYHの台所で皿に盛りつけして食事をする。昼は街中でサラダ(やさい不足になりやすいので)とビール、またはコーヒーとなる


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旧織物取引所と中央広場。写真向こうのアーケード状の建物が織物取引所だったところ。今は中にはお土産店が入って居て観光客でごった返している。この建物の前の中央広場では毎日の様にオープンカフェに出かけていきビールを呑んでいた。

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中央広場で花嫁と花婿のカップルが居た、この骸骨の老婆はどんな意味があるのか判らなかった。

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ここの広場にはいろいろものが売られていた。

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クラコフ3泊ご列車でウクライナの首都、キエフに移動した。現地時間18日午後6時ころウクライナとの国境に着く、ここで列車の台車交換が始まった。ポーランドの鉄道は標準軌1,435mm。一方ウクライナは旧ソ連圏の1,524mmの広軌、1時間以上掛けてジャッキで列車を持ち上げ、人力で車輪を押し出して、広軌の車輪を列車の下に押し入れ、車輪を交換する。2輌づつ交換していった。この間列車内には出入国管理官と税関職員が乗り込んできて手続きをしていった、日本人2人とみると簡単に手続きをする。この時4人用のワゴンだったが同行のAさんと2人だけだった。

ポーランドはEU加入国、さらにジンゲン条約加入国、シンゲン条約加入国同士では出入国の管理はおこなわれない。フインラントからバルト3国そしてポーランドまでは国内旅行と同じように国境を越えてきた当然パスポートにもスタンプが無い。ここでシンゲン条約地域から出たので久しぶりに国境越の手続きがあった。





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17
Category: 風景   Tags: ---

台風の置き土産。

10月17日午前10時05分。一部曇り、外気温+5度.台風は北海道の東海上を北上して去ってったようだ。

このド田舎村の西側には石狩川の向こうに樺戸連山が連なっている、此方は石狩平野の東側の夕張山系の山すそです。

10時過ぎに西側の窓を開けると『いやなもの』が目に入ってきました。ウアー、冬だー。いつもの年よりも半月も早く樺戸連山初冠雪です(2.3日雲に隠れていたので、雪になったのはもう少し早かったのかも知れません)。

この雪景色から逃れて25日イランに脱出です。3年前にこの国の北側のトルクメニスタンに11月下旬に滞在していました。半そででも過ごせましたからイランも暑いくらいでしょう。

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15
Category: 風景   Tags: ---

10月25日からイランに行って来ます。

このところの近況。

雨でないかぎり少しずつ歩いて居ます。腰の痛みは取れました。25日からツアー参加でちょこっとイランに行って来ます。いつも出発ぎりぎりまで旅の準備に手が付きません、困った物だ!今度こそ早くから準備に取りかかろうと思うのですが、さて、どうなることか。

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写真はイランのイスフファハーン、イマーム広場。

このところ1週間は毎日10時間はPCに向かってたまって居る写真の整理に取りかかっています。昨年の旅の写真8,000枚はあったと思いますが、そのうちの公開しても良い物を選択して、少々の手入れをし、分類したフォルダー仁入れ整理をしております。まあ、人に見せても良いかな~と思われる物は500枚くらいしか有りません。

15日現在約60%くらい処理をしました。後2から3日で終えます。その後で旅のデーターも整理して、イランに出かける2.3日前頃からBlogに上げるつもりでいます。あくまで『つもり』、お約束する物ではありません!!

イランから帰国しましたら、この旅は短期間ですので、日にちを空けず写真を公開できると思って居ます。

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09
Category: 風景   Tags: ---

ウオーキングの疲れが腰に来ました。

10月08日、11、541歩。09日10,421歩。まあ順調に歩いて居ますが足の疲れがとれず、2.3日まえから腰が痛くなってきました。昨日あたりがピーク、今日はいくらか良くなってきています。

毎日歩いて居ると林の木々もいくらか紅葉が始まって来ています。

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木々が黄色付いて来ています。

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放牧されている牛たちも草を沢山食べて太っています。

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路傍の草花も秋の花を咲かせていました。

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06
Category: 動物   Tags: ---

毎日少しずつ歩いて居ます。

ウオーキングを再開して10日ほど達ました。やはり脚の筋肉が無くなり長距離のウオーキングはつらい物があります。やっと10.000歩程度歩けるようになりました。

25日出発でイランに向かいます。ツアーの一人参加で朝から晩まで連れ回される事になるでしょう、後20日、其れまでにはいくらかでも体力アップに励むつもりです。

今日歩いて居たらあるお宅の家の前に猫が沢山寝そべっていました。岩合光昭(動物写真家)さんを真似て地面に寝そべって写真を撮りました。でも、いくら真似て寝そべってみても岩合さんと同じような写真は撮れませんでした、当たり前だ!!

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この黒猫だけ馴れ馴れしく寄ってきてすりすりして来た、しまいには寝そべっている私の体の上に乗っかってきた。

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家の前にいた猫は8匹もいました、多頭飼いも8匹にもなると部屋中匂はないのかな~。それとも外で飼っているのかな~。

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