HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


In 10 2012

--
Category: スポンサー広告   Tags: ---

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


07
Category: ロシア(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

禿爺の『ユーラシア大陸横断一人旅』旅行記 国境を越えてロシアへ、サマーラ、ボルゴグラード編

10月7日、今ルーマニアのシギシヨアラという田舎に滞在しています。5日に2ケ月余り共に行動していた知人のAさんと別れて、また1人旅に戻りました。

ここは首都のブカレストから128km離れた田舎町です、時間が静かに流れていて、古い中世の町並みの石畳の上を秋の日が降り注いでおり、心休まる街でずっと一生でもここに留まりたくなる街です。

さて、今回の旅日記はロシアに入国したときからはじめたいと思います。

8月19日、カザフスタンのアスタナからロシアのサマーラに向け列車で移動しました、1日半掛けて国境を越えロシア領内に入りました。

DSCN7850-1.jpg

カザフスタンの乾燥した地域を越え、いくらか緑の多いい地域に入ってきましたがまだ車窓からは平原が続く地域です。

DSCN7799-1.jpg

ロシア領内に入り2ツ目の都市に到着しました。オレンブルグ駅舎です。

DSCN7816-1.jpg

サマーラの新しい駅舎。ここの駅舎も巨大なそして新しい駅舎でした。ここの駅には早朝まだ夜もあけやらぬうちに到着、此処で困ったことが発生。
駅に着いて両替をしようとしましたが早朝でしまっています。ATMが2ツほど有ったのですが。どちらも現金が使い切って入っていません。ロシア領に入ったばかりなのに1ルーブルもロシアの金を持っていません。当初到着してこの駅のホテルで1泊するつもりでしたが、ドルもだめ、夜が明けてからATMが稼動したら払うといっても、即金のルーブルでなければ泊めることが出来ないと、断られました。仕方が無いので、駅の待合室の硬いベンチで夜を明かすことにしました。
まあ、此処までは我慢が出来たのですが、トイレに行きたくとも現金が無ければ使うことが出来ません。Aさんはトイレの受付のオバンにもれそうだーと、わめき、強行突破、私は真っ暗な駅のホームの柱とキオスクの陰で強行トッパ。参りました。
中国に上陸以来、公共トイレは何処も有料です、大抵は入り口に受付の窓口、または入り口に女性が座っています。ポーランドでは自動ドアに成っていてコインを入れなければドアが開きませんでした。
つくづく日本の無料公衆トイレのありがたみを味わいました。『日本の常識は世界の非常識です。』

DSCN7832-1.jpg

サマーラ駅の待合室、2階部分に待合室があり、ここから階段またはエスカレーターでホームに下ります。

DSCN7824-1.jpg

サマーラにはそんなわけで駅の待合室で夜明けを待って街に出てみました。トロリーバスに乗って街を一周、町並みを車窓から見て回りました。この建物は300年前のロシアの木造の建物でそのまま保存しているようでした。

DSCN7818-1.jpg

街の中を見て回りましたら面白い看板に出会いました。ロシア(キリル)文字で、『たぬき』と書かれています。
その下の小さい字での表記は日本レストランと成っています。
ここルーマニアではまだ首都のブカレストには長時間滞在していませんが、此処以前のモルドバまでの各国の町には日本レストランが氾濫しています。2,3聞いてみたのですが、その殆どが中国人、韓国人のシェフで日本人が料理人の所は1ケ所も出会いませんでした。とても安心してすしなど生ものは食べられません。火を通した料理を3.4ケ所で食べましたがどれも日本料理もどきと言ったところ、今ひとつです。値段が猛烈に高いのが特徴です、こんなことでは将来が心配です。

DSCN7866-1.jpg

8月22日、ボルゴグラードに入りました。この街は以前スターリングラードと呼ばれていました。現在はボルガ河河畔にあることからボルゴグラードと名称が変わっています。
前日サマーラからの列車移動の時隣の車室のロシア人が話しかけてきて知り合いに成りました。彼はサンクトペテルブルグに家族で向かっていたのですが彼の弟さんがボルゴグラードに住んでいて列車内から携帯で弟さんに電話して、ボルゴグラードで安いホテルを捜してくれることになりました。ここに着くすこし前に連絡がついて安いホテルがあったので訪ねてみてはと、ホテルまでの行き方と値段を知らせてくれました。このホテルは設備は古いものでしたがロシアのホテルとしては格安のものでした。満足して2泊しました。写真はボルゴグラート駅、多分戦後の廃墟の中からスターリンの号令で再建された物のようです。

DSCN7864-1.jpg

駅舎の壁にはスターリングラード攻防戦でのロシアの勝利の記念のレリーフが飾られています。

DSCN7891-1.jpg

この街には1線だけですが地下鉄があります、数駅走ったところで地上に出て市電として走っていました。

IMG_7630-1.jpg

泊まったホテルの近くに『ママーエフの丘』が有ります。此処には先の大戦(ロシアでは大祖国戦争と言います)でのかの有名なスターリングラード攻防戦での勝利を記念して巨大な祖国を守る女神像が立てられていました、また付属の記念的施設が多数あります。

IMG_7639-1.jpg

ママーエフの丘の勝利の女神像と巨大な彫刻像。

IMG_7646-1.jpg

女神像下の記念館には永遠に燃え続ける平和の火があり、ロシア軍の将兵が守り続けています。私が行ったとき丁度衛兵の交代がありました。

IMG_7654-1.jpg

この日は消えることはありません、2人の衛兵が常に守っています。

IMG_7684-1.jpg

市内にはこの攻防戦を記念しての記念館がありました、『バノラマ』と呼ばれ戦争のパノラマとジオラマがありました。

IMG_7689-1.jpg

ボルガ河河畔。この河の岸にはクルーズ船が係留されていましたので乗ろうととしましたが、風が強く今日は休みとの事で残念ながら川面からこの街を見ることは出来ませんでした。




関連記事
スポンサーサイト


04
Category: カザフスタン(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

禿爺の『ユーラシア大陸横断一人旅』旅行記 カザフスタン、アルマトゥイ、アスタナ、そしてロシアへ

8月14日、しばらく滞在していたキルギスを離れ隣の国カザフスタンに移動することにした。ビシュケクの郊外にあるバスセンター(ロシア語でアフト、バクザールと言う)からマルシュルートカでの移動である。遠距離、または国際間を走るマルシユルートカはお客が定員を満たして初めて走り出すのが普通。時期によっては何時間も、時には半日も待たなければ満員にならず出発は遅れる。この時期夏休みで人々の移動が活発な時期でもあったので、幾らも待たずに出発となった。このバスセンターからは大型バス、マルシュルートカのような小型のバスも頻発している。
下の写真は、途中のカソリンスタンドで給油をしているマルシユルートカ。

DSCN7672-1.jpg

キルギスのビシユケク、カザフスタンのアルマトゥイ間は非常に近いので4時間程度で移動できる。途中国境ではバスから降りてイミグレーションの建物に徒歩で入り、出国の手続きをして、小さな川の橋を渡り、カザフ側のイミグレーションの建物に入り入国手続きをして、遅れて通過してくるバスを待って、乗客が全員そろったところで出発となる。このとき、入国側のカザフのイミグレが混雑していて時間がかかった。

隣国との関係が良好な国際間では、これらバスなどは相手側の街や首都まで走ってくれるが、関係が悪い国との移動では、国境の手前までしか乗り物は走ってくれない、国境を歩いて渡り、相手側の領土に入って、其の国の乗り物を探して乗込むことになる。したがって私はこれらの乗り物を利用するときには必ず、国境までか、相手側の首都まで走行するが確認して乗込むことにしていた。

下の写真はアルマトゥイで泊まっていたホテルの窓から見た、アルマトゥイ中央バザールの風景、この大きな建物も内部がハザールに成っており、周りの外側も足の踏み場も無いくらい店が密集していた。

DSCN7682-1.jpg

この国は基本的にはイスラム教徒が多いいが、ロシア正教徒もいる。しかし共産主義の時代をくぐってきたせいか、宗教活動はまだ低調に見えた。新しいモスクの建設も始まって入るようだ。

DSCN7715-1.jpg

8月16日、アルマトウイのサイランバスターミナルからこの国の首都アスタナに向けバスで移動することに成った
。当初列車で移動するつもりでいたが、キップは売り切れで買えず、市内の旅行社で抑えている切符が無いか尋ねまわったが何処も無く、かえって飛行機での移動を進められる始末。
頑なに陸路移動にこだわって旅を続けている私にとって、飛行機移動など考慮の外。バスターミナルに行ってみたらバスの切符が買えた、ただし35時間のバス移動。2年前にアルメニアからトルコのイスタンブールまで35時間のバス移動は経験済みで、非常に過酷な旅になることを覚悟した。確かに砂漠状の地域を35時間も移動、本当に疲れた。

DSCN7732-1.jpg

見渡す限り砂漠状の土地が続く。バスは北に向けて飛ばす。

DSCN7736-1.jpg

一晩バスは走り続け、東の地平線から太陽があがってきた。

DSCN7744-1.jpg

アスタナの鉄道駅、首都がここに移転してきてまだ余りたっていない。斬新的な巨大な建築物があちこちに姿を現しだしている。

DSCN7757-1.jpg

アスタナ鉄道駅のコンコース。
ここで不愉快な経験をした。駅舎の外の階段で休んでいると警官が1人近寄ってきて『おまえ、タバコをすっていただろう、罰金を払え』というのです。確かにタバコをすっていたが、その場所には、スモーキング、エーリアと英語で書いてある場所でした。猛烈に抗議をすると、私の腕を捕まえで建物の陰に連れて行こうとするのです。『今日本大使館に電話して、警官に不当な扱いを受けている』と連絡をするといって抗議をしました。、大使館から日本の係官を呼んで、カザフスタン政府に厳重な抗議をしてもらう、というと、態度を変えました。
あっちに行け、というのに、乗込む列車のタラップまで付いてきて、重たい私の荷物を積み込んでくれました。
やはり、不当な行為に対しては断固抗議をすべきとつくづく思いました。

DSCN7772-1.jpg

駅のホーム、列車は長距離のものがたまに発着している。此処からロシアにも国際列車が出ている。

DSCN7754-1.jpg

駅前の賑わい。

DSCN7768-1.jpg

このようにホームは低く、幅が広く取ってある。駅の外から車で直接ホームに乗込むことが出来る

DSCN7791-1.jpg

アスタナから国境を越えてロシアのサマーラに列車で移動しました。カザフタンの平原に夕日が落ちだしています。

DSCN7784-1.jpg








03
Category: キルギス(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

禿爺の『ユーラシア大陸横断一人旅』旅行記 キルギス編

8月8日、午後4時過ぎにキルギスの地方都市オシュから乗り合いタクシーで首都のビシユケクに入りました。
2年前のアジア大陸横断の旅で訪れた街です。其のときは同年4月に国内暴動から前大統領が国外脱出で新大統領が誕生して、その年の11月訪問でしたので、街中にはまだ暴動の痕跡があちこちにありましたが、それも殆ど片付けられ、街は落ち着きを取り戻しているように感ぜられました。
でも、短期間滞在の外国人には感ぜられなくとも、多分まだその時の影響は表面下に沢山残っているのではないかと思いました。

滞在先は前回同様『さくらゲストハウス』、久しぶりに会ったご主人初め奥さん、それに可愛い2人の娘、『さくらちゃんとそらちゃん』お姉いちゃんのほうは来月から小学校とのこと、空ちゃんも大きくなっていました。

此処で今回の旅で旧ソ連地域を同行する大阪のAさんと会い、カザフスタンに2人で移動することにしました。Aさんとはルーマニアまで同行します。

IMG_7555-1.jpg

キルギス、ビシュケクのオシュバザールの賑わい。

IMG_7562-1.jpg

バザール内の肉屋さん、肉の塊を鉞で裁いています。この様な肉屋さんが数十軒並んでいます。此処はは必ず屋内か屋根つきの売り場になっていて、肉のにおいが充満しておりとても長居は出来ませんでした。

IMG_7565-1.jpg

中央アジアは果物の豊富な地域、バザールでも果物が豊富に売られています。ただ、りんご、梨、柿などは小さく、硬く、不ぞろいで傷も多く、とても日本の物と比較になりません。ぶどう、スイカ、メロンはみずみずしく、甘くこちらは一品ぞろいです。

IMG_7585-2.jpg

以前きたとき暴動で焼け爛れていた大統領府前の建物は、シートが掛けられ、修理中でした。

IMG_7588-1.jpg

この建物は大統領府。以前この建物の前の鉄柵に暴動で犠牲になった80数人の人々の遺影が掛けられ、花束で覆われていましたが、いまはそれも片付けられ、静かな街に変わっていました。

IMG_7605-1.jpg

街は木々が多く花も飾られ美しく飾られています。道端のゴミも以前より幾分少なくなっているように感ぜられました。人々の暮らしに落ち着きが出てきたのでしょう。



1
2
5
6
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

top bottom
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。