HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


In 07 2011

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Category: 風景   Tags: ---

富良野の丘

富良野

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Category: 風景   Tags: ---

漁港の朝。

羽幌3

07.20 夜明けの羽幌漁港。

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羽幌薔薇園

07.20は羽幌で一泊して帰りに羽幌薔薇園に寄って帰りました。この薔薇園はこんな所でした。

http://www.oldrose.info/rosegarden/haboro03a.htm

羽幌2

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Category: 風景   Tags: ---

道北の羽幌に行ってきました。

07.19日会議があり、道北の羽幌に行ってきました。
ここの漁港からの夕日は有名ですが、太陽が落ちる午後7時頃舫っていて写真には適さない天気でした。
翌日午前4時過ぎに起き出して漁港に行ってみました。半袖で出かけたため寒く、じっくりと構えて写真を撮ることが出来ませんでした。

北国の漁港、夏

羽幌1

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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO21『最終編』

アジア大陸を西へ西へと移動して来た時に、ある日自分を取り巻く世界に何か違和感を感ずる時がありました。あれっ、何か違う?何だろう。周りの景色に何か違和感を感ずるのです。

カザフスタンのアルマトゥィ、バンフィロフ戦士公園のベンチに腰掛けて子供達がハトの群れと戯れているのをボケッとみていました。ああ、これが違和感を感じていた原因かと気がつきました。ハトが私の足の下まで近寄ってきています、なんとススメもハトと一緒に私の足の近くまで寄ってきているのです。
大陸を西へ移動するにつれて、名も知らない野鳥たちが人の近くまできても逃げ出さないのです。トルコではとうとう私の靴の上まで上がっても逃げ出さないスズメがいました。

鳥ばかりでは有りません、コーカサスに入ると猫が街の中を歩いています。バクーの古い路地裏を歩くとあちこちに猫がいました。石畳の小路を猫が横切って行きます。石の塀の上にも猫が休んでいます。手を伸ばすとすりすりしてきます。人を見ても逃げ出しません。

犬も人々の中で生活しています。家の庭に鎖でつながれた犬は一度も見ませんでした。人とともに散歩をしている犬は必ずリードをつけていましたが、道端に寝転がっている犬も痩せてはいません、だれかが面倒を見ているのでしょう。

以前旅行した南アジアのパキスタン、ネパール、イエーメンなどでは街中を野良牛、野良羊、野良ヤギなどが人の中で生活していましたが、このたびの旅行地域では、牛や羊などは街中にはいませんでした。

西へ移動するにしたがって鳥や動物と人との距離が近づきトルコではほとんど人とこれらの動物たちが混ざり合って生きていました。

番外篇『人と動物たちの距離』

トプカプ宮殿の塀のそばいつも数匹の猫が集まっています。手を伸ばすと寄ってきました。以下イスタンブールの猫たち。

トルコ44

トルコ47

トルコ92

私をみて猫が集まってきました、昨日餌をやったので覚えていたようです。

トルコ7

トルコ95

ルコ94

トルコ96

トルコ50

イスタンブールの新市街。店のドアの前で寝そべっている犬、店に入るのに邪魔になりますが誰も邪険に扱いません。犬をよけて店に入いっていきます。


トルコ48

トルコ49

耳に番号札をつけています。ここの町の人に聞きましたがこれらの犬は個人所有のものではなく、市が面倒を見ているそうです。どの犬もやせていません。時々市の係りが餌をやったり、病気のチェックなどをしているとのことでした。


トルコ60

アザソフィア博物館前の広場のどんまん中でいつも寝転んでいる自由犬。もちろん耳には番号札がついています。
この街に着いて2日目初めて出会い、食べていたパンの残りを上げました。次の日この広場に入っていくと覚えてくれていて、起き上がって近寄ってきました。餌をやらないわけにはいられませんでした。

トルコ93

トルコ29

すずめがここまで近寄ってきます。日本では絶対見られない絵です。

トルコ51

ロシア5

ロシア、シベリアのテンダ駅のホームで、野良が2.3匹遊んでいる。食べかけたソセージをあげようと呼んだらよってきて、もらえるまで1m位前に座ってちゃんと待っていた。

ロシア1

以下4枚の写真は、間宮海峡横断のフエリー内にて、ワニノで犬の品評会があるとか。大型犬を連れたた人々が十数人フエリーに乗り込んできた。よく躾けされている。船の入り口には動物は貨物扱いになるとの表示があるのに、全員犬を客室に連れ込んでいた。許可を受けていたようだ。

ロシア2

ロシア4

ロシア3

もうこうなったら、人が犬になったのか? 犬が人になったのか ?判らない状態。

キルギスのカラス

キルギスタンでみた鳥、ミヤマカラスだろうか?

本編No21で今回のアジア大陸横断旅行記の最後とします。ご笑覧いただきありがとうございました。
この地方への旅行に興味の有る方は、後日4トラにもう少し詳しく写真を上げるつもりでいます。またDigibookも手をつけるつもりです。出来ましたらここでお知らせしたいと思っています

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Category: トルコ旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO20

ボスポラスクルーズ

12.22日、カッパドキアから帰って来て帰国までまだ1日有ったのでボスポラスクルーズに行ってみました。
ガラタ橋の袂から沢山の観光船や連絡船が出ている。時間も短い物では1時間程度からほとんど1日も掛かるような物まで。私は11時出港で5時過ぎに帰港のものに乗った。

ボスポラスクルーズ

終点のアナドル、カヴァウに着いて帰るまで2時間以上有ったがあいにくの雨、ここには近くに砦の遺跡があるのだが傘の用意をしていなかったので、港のレストランで時間を過ごした。

トルコ13

私が乗った船。

トルコ1

この海峡には大小の船が航行していた

トルコ14

ボスポラス大橋。

トルコ11

漁船が網を引き上げている。後ろに鳥が群がっていた。

トルコ12

アナドル、カヴァウの港。

トルコ15

ドルマバフチェ宮殿。

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Category: トルコ旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO19

12.15日イスタンブールの旅行社を訪ね帰国の航空券と次いでカッパドキヤのツアーをくんで貰いました。
トルコまで来たのに何処に寄らずに帰るのは能の無いことと1ケ所くらいはと思い、カッパドキアに行ってくることにしました。

12.19日夕方迎えに来たマイクロバス(サルビス)に乗って郊外のバスターミナル(オトガル)に行き、夜間バスでカッパドキアに向かいました。翌朝今回宿泊するユルギュップに移動、洞窟ホテルにチェックイン後1日カッパドキアを観光、この日は天候は不良、時々雨がパラつく。翌く朝ホテルをチェチクアウトして1日観光した後、夕方またバスにてイスタンブールに戻りました。2日目は快晴でした。

イスタンブールからのツアーでは色々あります。行き帰りを飛行機で移動する、バスで移動などがあります。また、自分で其処まで移動して、現地のツアーに参加する等々。カッパドキアは結構広域ですので、現地ではツアーなどに参加したほうが効率的に見て回ることが出来るでしょう。

カッパドキア

トルコ35

ユルギュップの街。

トルコ36

泊まったホテル、カッパドキアの入り口

トルコ37

ホテルの受付。

トルコ25

バスが巨大でたいへん良かった。

トルコ38

朝スで着いたばかりなのでテルで朝食を食べる。

トルコ39

朝食。

トルコ22

此処から以後、カッパドキアの景色写真。メモしてなかったので地域名が判らない。

トルコ23

トルコ24

トルコ


トルコ21

トルコ18

カパドキアにあったイスラム教徒達の墓地。

トルコ24

トルコ30

トルコ31

トルコ32

トルコ34

トルコ28

ここで2日目の昼食を食べた。

トルコ26

トルコ19

トルコ27

レストランで民族音楽の演奏があった。楽器はカヌーン(Kanun)。
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Category: トルコ旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO18

旅の目的、アジア横断旅行も一応目的を達し、気が緩み、ここイスタンブールでの滞在はおまけとの思いもあり、今まで節約しての旅行も此処では残ったお金を全部使ってしまうぞと毎日レストランでの食事、それにイスラムの国でも有るのに結構お酒も飲めると、羽目を外し、お金も足りなくなり時々街角のATMを利用してしまった。

実に便利な世の中になった物だ、どこの国でも街角にはATMがあり、カードを入れさえすればドルでも現地の通貨でも出てくる。インターネットも簡単につながり、Skypeで日本と顔を見ながら長話でも無料。インターネットをしていない友人の携帯にskype経由で電話したら10分程度話したのに29円で済んだ。

ここイスタンブールでskypeを立ち上げると、この近くのアマ無線の知人達がskypeで呼んでくる。ブルガリア、ウクライナ、ルーマニア、ハンガリーの知人達だった。皆近くまで来ているのだから、寄っていけという。残念ながら12月も残り少なくなってきているので、今回はここから帰国することにして、次回と言うことで、勘弁して貰った。

イスタンブールの見所その2 (ヨーロッパ側の新市街)。

トルコ6

新市街のイスティクル大通り。

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ここは歩行者天国になっている。ストリートミュージシャンがロマ風の音楽をを演奏していた。

トルコ88



トルコ85

ここ新市街のイスティクル大通りにはクラシックの市電が走っている。

トルコ87

大道りから横に入った小路のお店。

トルコ86

カトリック(キリスト教)の教会があった。

トルコ89

アルメニア教会の建物。

トルコ90

イスティクル大通りをガラタ橋の方に下がって来た、市電のカラキョイ駅近くの急坂。

トルコ91

新市街ののトラム終点駅カバタシュで降りて、海の方に出てみた。海はボスポラス海峡

トルコ79

ボスポラス海峡には多くの船が行き来している。

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Category: トルコ旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO17

イスタンブールには12.12日から12.18日まで滞在した後12.19日からカッパドキア観光ツアーに参加してきた。

イスタンブールの見所 (ヨーロッパ側、旧市街)

トルコ4

アザソフィア博物館。
時代に翻弄されて、幾たびもその姿を変えてきた。ギリシャ正教の大本山として君臨しながら、後にはイスラム寺院に姿を変えたイスタンブールを象徴する建物である。
西暦325年、コンスタンティヌス1世によりアザソフィアのもととなる教会の建築が始まり、360年コンタンティヌス2世の時代になって完成した。その後幾たびかの焼失を経て、537年ユスティニアヌス皇帝の命を受け、6年近くの歳月をかけてビザンツ様式の大聖堂が完成した。その後ギリシア正教の大本山としてあがめられていた。

1453年コンスタンティノープルが陥落後、スルタン、アフメット2世により聖堂はジャーミィーに変えられ1700年代には残されていたモザイクも漆喰て塗り隠され、20世紀に再発見されるまでモザイクは日の目を見ることはなかった。

トルコ54

アザソフイアの内部。

トルコ56

1931年、アメリカ人の調査隊により壁の中のモザイク画が発見されたアザソフィアはビザンツ時代の遺跡として再び脚光をあびる事になった。


トルコ16

ガラタ橋から見る、イェニ、ジャーミイ。
1598年にムラト3世の妻、サーフィエ、スルタンによって建設が開始され、1663年メフメット4世の時代に完成した。

トルコ17

ガラタ橋はいつも釣り人で賑わっている。

トルコ81

ガラタ橋袂のレストラン、ここはさばサンドが名物だ。名物にうまい物無し、小鯖の焼いた物をパンに挟んだだけの物、何てこと無い、まずくも無く美味しくも無し。このあたりのレストラン盛んに魚料理を宣伝しているが、バリエーションが極端に少ない。日本の魚料理が特殊なのか。

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イェニ、ジヤーミー前広場にて。お昼頃ここのミナレットから大音響のアザーンが流れ出した

トルコ2

トルコの靴磨き屋さん。

トルコ40

グランドバザールの入り口の門。東から西から物資が集まる屋根つきの市場。

トルコ41

グランドバザールの内部。
グランドバザールは、トルコ語でカバル、チャルシュといい、屋根付き市場という意味を持つ。中東最大
言われる市場で、ひとたび入り込んだら、なかなか入り込んだ出入り口からは出られないほど広大な市場である。

トルコ42

ブルーモスクの名前で親しまれている、スルタンアフメット、ジャーミィー。
このあたりの地域の名前にもなっている旧市街の観光の中心、壮大なその姿はイスタンブールの象徴でもある。
このジャーミィーは16156年建造された。大きなドームと鉛筆型の6本のミナレットをもつ、トルコを代表するイスラム寺院である。もちろん今も現役、信者が集う神聖な場だ。

トルコ80

入り口を入った中庭からジャーミィーの入り口を見る。

トルコ53

此処で足を洗い手や顔を清めてから中に入る。当然靴は脱いで男は帽子をとり、女性はスカーフで頭を覆って入る。金曜礼拝以外一般の観光客も無料で中に入ることが出来る。

トルコ55

中庭の泉亭。(足洗い場)

トルコ69

この丸い円筒型の石に腰をかけ、蛇口から水を出して足を洗う。

トルコ68


トルコ57

ミンバル、説教段。ここのミンバルは細かい彫刻が施されている。段の最も高い所はムハンマドの場所とされ、説教をする人は中程まであがりそこで説教をする。

トルコ58

メッカの方角を表す壁のくぼみがミフラブです。イスラームの人々はメッカの方角に向かって礼拝するので、ジャーミィー(モスク)にはミフラブはつきものです。

トルコ59

天井からワイヤーでシャンデリアがつり下げられていて、いっそう夢の境地に引き込まれます。

トルコ65

イスタンブールの長距離駅は、アジア側にはハイダルパシャ駅があり、ヨーロッパ側らはガラタ橋の近くにスィルケジ駅がある。ここはスィルケジ駅。かってはロンドンを始発駅とするオリエント急行はここを終着駅として走っていた。

トルコ63

駅ホームに新型列車が停車していた。

トルコ64

駅ホーム左側の駅舎には歴史を感ぜさせられるレストランがあり、ホームにもテーブルが並んでいた。

トルコ84

市内電車、トラム。市内には新型のトラムが走っていてたいへん使いやすい。

トルコ71

イスタンブール大学正門

トルコ70

大学キャンパス。

トルコ66

国立考古学博物館。

トルコ8

テオドシウスの城壁。
テオドシウスの城壁は、イスタンブール旧市街をすっぽ覆うように作られた城壁。ローマ、ビザンツ時代には鉄壁の防御を誇った。アフメット2世がこの街を陥落させた時も、この城壁を完全に破壊できず、ビザンツ側の鍵の閉め忘れによって城内に入る事ができた。現在修復工事が進んでいる。

トルコ9

ルメニ、ヒサル。メフメット2世が建造した要塞で1452年に建てられた。南北の長さは約250m。1453年のコンスタンティノープルの戦いに備えわずか4ケ月で作り上げたと言われている。

トルコ82

テオドシウス1世のオリベスク。アトゥ、メイダス(馬の広場)の一番南側にある25.6mのレリーフを施された石柱。エジブトのカルナック神殿からローマ皇帝により運ばれたもの。もとは、古代エジフトのフアラオ、トトメス3世がルクソールにあるカルナック神殿に建立したもののひとつ。柱にはヒエログリフなどが刻まれている。

トルコ83

『蛇の柱』途中から折られた高さ8mの青銅製の柱。コンスタンティヌス1世の時代にギリシャのデルフォイのアポロン神殿に建てられていた物を持ってきた物。もとは紀元前3世紀にギリシャ都市国家がペルシア戦争の戦勝記念に建てられたものである。

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Category: トルコ旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO16

ついに12.12日トルコに入ったのはいいが、ひょんな事から西のイスタンブールまで行ってしまった。

東のグルジア(サルビ)-トルコ(サルブ)の国境を越え西のイスタンブールまで。


トルコ78

20010.12.12. 00:23分バスはグルジア(Sarpi サルピ)とトルコ(Sarp サルプ)のイミグレーションを真夜中に越えた。バスはドイツ製のベンツ、乗り心地は快適だったがここからイスタンブールまで19時間かかり、疲れきって午後8時過ぎに到着した。結局アルメニアのエレバンからトルコのイスタブールまで35時間バスに乗っていたことになる。


トルコ73

真夜中の3時頃バスはトイレ休憩のためドライブインに入る。雪だ!アルメニア、グルジアではまっく雪が無かったのに、5cm位積もっている。夜が明けた頃バスはアナトリア高知を走っていて高度も上がってきた。外は雪景色、時々猛烈に雪が降り出している。

トルコ74

国道は圧雪状態、所々で車が路肩に突っ込んでいる。ドライブイン近くなるとたまには重機で除雪作業が見られるが、日本の北海道に住む私ら見ると全く除雪体制が無いに等しく感ぜられた。
この夜イスタンブールのホテルに入ってTVを見るとこの日の吹雪の報道一色であった。低気圧の通過でエジプト、ヨルダン、イスラエル、トルコの交通機関が麻痺して多くの事故が起こった様だ。

トルコ10

午後3時過ぎ頃から雪もなくなり、アナトリア高地を通り過ぎ平野部に降りて来たことを感ぜさせられる。行く手右側に海が見えだした、黒海沿岸を走っている様だ。夕暮れも近づいた6時過ぎにボスポラス大橋を渡り、とうとうアジアからヨーロッパに入ってきた。


トルコ77

イスタンブールで泊まっていたHotel Merih(メリフ、イキ)前の通り。すぐ裏はトプカプ宮殿。

ここはトラム沿いにあり、キュルハーネ駅にも近い。イスタンブールに入ったのが8時過ぎだったので何箇所かに電話して空き部屋があるというのでここに飛びこんだ、幾分料金が高めだったがマネジヤーの女性が日本語が堪能で、何でも相談に乗ってくれる、家族経営のアットホームが売りのホテルだ。
マネージャの女性の名は、アイシャ、29歳のかわいい女の子、もう一人オカン(最初この名前を聞いたとき、中年のオババかと思っていたが、30代の男性だった)がお客の面倒をよくみてくれる。ドミに泊まったが途中部屋の修理がはじまり後半ミッックスになった。此処の2.3軒隣に旅行社もやっており、国内ツアーをくんで貰った、これも幾分高かったが、日本語で相談に乗ってくれるので安心して任せられた。

トルコ45

半地下にあるロビー、軽食や飲み物も出してくれる(有料)、もちろん朝食は宿泊代に含まれている。

トルコ62

ホテルを出て坂を下った所にあった古いキオスクの建物。

トルコ3

ホテルから3.4分の所にアザソフィア博物館があった。

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08
Category: アルメニア旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO15

12.07日午後7時過ぎ、アルメニアの首都エレバンに入った。前日泊まったトビリシのホステルが気に入ったのでここエレバンでもユースホステルを利用することにした。街の中心部にあるエンヴォイ、ホステル(Envoy Hostel)に飛び込んだ。ここは2005年にできたまだ新しいホステル、ヨーロッパ人の利用者が多かった。4ベット室21$、誰も居なく1人利用だった。他の部屋にはヨーロッパ人の女の子達が沢山泊まっていた。複数でシャワー室に入りキャッキャと騒いでいる、困った物だ。

私は3年ほど前からユースホステルの会員になっていたが今まで1度も利用したことが無かった、国外に来て偶然泊まったところがユースホステル(会員証を国においてきたので一般人として利用した)、すっかり気に入ってしまった。帰国してもドシドシ利用たいと思っている。

アルメニア(ハヤスタン)、エレバン市

アルメニア1

街中は古い重厚な建物が続き、歴史を感ぜさせられる通りが続いて居た。

アルメニア16

この国も文字は独特のアルメニア文字を使っている。グルジアでは一部にラテン文字との併記が見られたが、此処ではほとんどラテン文字は見慣れなかった、またロシア語の表記も少ない。

ここに来て2日目、郵便局に出かけてみた。旅の途中で買った物が増えたのとカイドブック、地図が重たくて旅も終わり近づいたので日本に送り返そうと思ったからだ。局員にどのくらいの日数で着くかと聞くと、クリスマスが近づいているのと年末年始を挟み職員が休暇取るので業務はほとんどストップする時期、航空便でも1ケ月は掛かりそうだという。
へー、日本ではこの期間アルバイトを雇い職員も時間外労働で猛烈に働く時期なのに、反対なんだー。
(帰国してみると10日ほどで荷物は着いていた、やるじゃーないか)。

日本の常識は世界の非常識とは良く言ったものだ。

アルメニア14

石畳がこの街の歴史を物語っていると思ったが、比較的新しい街の様だった。歴史的には19世紀に帝政ロシアが設けたアルメニア州の州都エリヴァンが起源のようだ。

アルメニア6

カスカード(Kaskad)。
自由(アザトゥテャン)広場の北、ソビエト、アルメニア成立50周年記念碑とそれに連なる巨大な階段状のモニュメント。中にはエスカレーターが有る。
独立後の混乱と財源不足で一時は建設が頓挫していたが、2001年に建設を再開、記念碑も『復興アルメニアの碑、Veratsnkats Hayastan』と改名された。現在も工事中だが、途中から歩いて記念碑まで行ける。展望台からの眺めは大変良かった。

アルメニア7

向かって左側に小さく写ってるドアから中に入るとエスカレーターがあり上部まで行くことが出来る。
私は登りはこのエスカレーターで行き、下りは階段を歩いて降りて来た。

アルメニア5

カスカード内のエスカレーター。

アルメニア4

エスカレーターで上がった所にホールがあり、絵画館になっていた。(この写真をとったらフラッシュが光り叱られた)。

アルメニア3

エスカレーター終点から外に出てみた。眼下に街が一望でき、たいへん見晴らしが良い。下には自由広場が、この先の向こうにアララット山が有るのだがこの日はガスッテいて残念ながら見えなかった。

アルメニア2

エレバンの街並がもやの中に広がっている。

アルメニア8

キリキア(中央)バスターミナル。12.11日ここからトルコへバスで移動した。アルメニアとトルコの国境は閉鎖されているのでアルメアから一旦グルジアに移動して、グルジア経由でトルコに入る事になる。

アルメニア9

キリキア(中央)バスターミナル。ここから国内各地や外国に長距離バスが発着している。バスはドイツ製のベンツが多かった。

アルメニア11

ソ連時代の旧式のバスも現役で走っている。燃料はガスの様だ、屋根に大きなボンベを積んでいる。

アルメニア13

今でも働いているソ連時代の旧式のバス、

アルメニア12

移動中のバス、中央に立っているオバチャンは旅行客のボス的存在。良くしゃべる、途中何度も食べ物をくれた。

バスには車掌が2人乗っていて時々ジュースやあめ玉のサービスがある。長時間の移動で退屈なので年寄り達が私の席の近くに集まってきた。日本での暮らしや物価などの話題で盛り上がる。そのうちに年寄り達から年金の話が出た。いくらくらいもらっているのかと聞かれたので正直に話すと桁が違うのではないかと言い出した。彼らは日本の20分の1位しか貰っていない。そのうちに先のボス的なオババが日本に帰るときに連れて行ってくれと言い出した。洗濯も毎日するし食事も作る、まだ現役なので夜のお勤めも出来るという。周りのみんなが腹を抱えて笑い出した。とてもじゃないがこちらの方が勤まらない、勘弁して貰った。


アルメニア17

グルジアとトルコの国境、グルジア側。全員バスを降りてこれから入出国手続きに入る、真夜中の12時過ぎだった。もう既に数十時間バスに乗り続け疲れ切っていたのと眠たいので一連の手続きを終えバスに乗り込むと同時に眠り込んでしまった。

アルメニアのトビリシを出たときはトルコに入ってトラブゾンで下車する予定、そのキップを持って居た。午前3時過ぎにトイレ休憩でドライブインにバスが停まった。バスの外でタバコを吸っているとアルメニアのおばちゃんが寄ってきて『あんた何処まで行くの』と聞いてきた。トラブゾンに行くつもりだと答えると『あれー、トラブゾンなら1時間前に通り過ぎたよ』と言われた。うひゃー、どうしよう!ばあちやん達が5.6人集まってきて、とうしてもトラブゾンに行かなければならないのであれば、此処で降りてタクシーで戻らなければならないという。

アルメニアでバスに乗り込んだとき運転手にトラブゾンで下ろしてくれるように頼んだのにと、運転席に行ってみると運転手が変わっていた、トルコに入った時に変わったようだ。途方に暮れていると、ばあちやん達が皆そろって『トラブゾンなんて何も見る所なんてない、私たちはイスタンブールまで行くので、一緒に行こう』と言い出した。トラブゾンまでの切符しか持ってないと言うと、黙ってそのまま乗っていっても判らないから行こう、行こうと言う。もーう、めんどくさい、やけくそになってイスタンブールまで行ってしまった。35時間のバス移動だった。

35時間ものバス移動本当に疲れた。トルコのホテルに着いてからカメラを盗まれていたのに気がついた。疲れこんで寝ている間にリュックに入れていすの下に置いておいたのを抜かれたようだ。

アルメニア15

アルメニアのビザ。グルジアはビザが不要なので出入国のスタンプだけ。

正式国名 アルメニア共和国 (ハヤスタニ、ハンラペトゥテューン) 面積 29.8万㎢キロ
人口 321万 首都 エレバン 人口 127万





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Category: グルジア旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO14

12.03日午後8時過ぎにバクー駅から次の国グルジアに向け出発した。翌日朝07.30分国境に着いた、先に税関が乗り込んできて車内を検査する。その後入出国管理官が乗り込んできた、列車の一番はじめの客室に陣取り室番号順に乗客を呼び出して、出国手続きを始めた。私の客室に同乗していた人達は国境の手前で下車して私は一人だった。一つ前の部屋には若い20~30代の男女が乗っていた。

出国審査が進み、隣の部屋の女性が呼び込まれた。4.5分で出国スタンプをもらい出てきた。次は男性か呼び込まれる。『43番、ヤポーニヤ(日本) ××××、前に出てドアの前で待機しなさい』と呼ばれた。ドアの前に進むと中の一部が見る。何か尋問を受けている様だ、手続きが長引いている。

そのときホームに機関銃を肩にかけた兵隊が5.6人集まってきて整列しているのに気がついた。一団が列車に入ってきた。ギョッとしてみると一番前の兵隊の手に手錠がある。
2人が客室に入り、1人が若者の腕を後ろに回しもう一人が手錠をかけた。若者は抵抗しなかった。

どんな事情があったのか、目の前で手錠をかけられたのを見たのは初めてだった。この若者達はここで列車から降ろされて、軍用車で連行されていった。

グルジア(サカルトヴェロ) トビリシ市

グルジイ24

トビリシ駅で降りて、外に出てみると駅前は古く低い建物が続き、うらぶれた感じを受けた。アゼルバイジャンのバクーが経済的に繁栄していて、街も活気があったが、ここでは近代的な高層ビルもほとんど目に入らず、うらぶれた感じがした。

グルジイ1

タブイスプレバ(自由)広場。

グルジイ14

タブイスプレバ(自由)広場の記念塔。

グルジイ13

市庁舎か。

グルジイ2

プーシュキン通り、此処から小路に入った所に泊まったStar hostelが有る。

グルジイ15

トビリシで泊まったユースホステル一泊17$(もちろんドミートリー朝食付き1ベットの値段)。
このホステル、アゼルバイジヤンのバクーで出会ったバックパッカーの台湾人に教えてもらった所。開設してまだ1週間と新しい、それにオーナーがフレンドリーで居心地が良かった。
1日目に同室だったフインランドのお兄ちゃんが次の日に移動していって2日目は一人だった。

グルジイ17

ホステルの部屋、4ベット1部屋、それと6ベットの1部屋の計2部屋があった。

グルジイ16

シャワー室、このスタイルが他の国でも多かったが、水を受ける所が狭く使いずらかった。

グルジイ18

Star Hostelのオーナー、奥さん共々気さくで快く泊まることが出来た。

グルジイ3

トビリシ市内の建物。

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トビリシ市内の建物。

グルジイ5

トビリシ市内の建物。

グルジイ10

トビリシ市内の建物。

グルジイ7

トビリシ市内の建物。

グルジイ8

トビリシ市内の建物。

グルジイ9

トビリシ市内の建物。

グルジイ11

トビリシ市内の建物。

グメジイ13

トビリシ市内のガソリンスタンド。

グルジイ23

向かって左側が両替所。右のドアの上の文字がグルジア文字、全く読めず、移動するときも地元の人に直接聞いて移動しなければならなかった。ロシアとの関係が非常に悪化していたが、何処でもロシア語の質問に心良く応じてくれた。

グルジイ12

街の中を流れるムトウクヴァリ川

グルジイ4

市街東側の高台にかすむツミンダ、サメバ大聖堂。2004年建築。コーカサス最大の宗教建築物と言われている。中に入ってみたがロシアの正教寺院などと大きく相違して、中は非常にシンプル、装飾画やイコンなど全くない、私はグルジア正教の教会はここしか入ったことが無いし、知識もほとんど無かった、帰国後ネットや本でグルジア正教の教会内部の写真を見たが、壁画やイコンなどが飾られている。なぜこのツミンダ、サメバ大聖堂がシンプルなのか判らない。2004年建設の新しい物で有ることが原因なのか?(残念ながら内部写真はカメラ盗難によりない)。

中央正面にキリスト像が1つだけだった。なを、コーカサス3国の内アゼルバイジャンのみイスラム教圏、グルジア、アルメニヤはキリスト教圏である。

グルジイ20

オルタチャラ、アフトバクザール(バスターミナル)。ここから乗り合いタクシーでアルメニヤに移動。

グルジイ19

始めここのハスターミナルからマルシュルートカでアルメニアに移動するつもりだった。朝7時にターミナルに着くもこの季節お客さんが集まらずマルシュルートカも乗り合いタクシーも出発しない。4時間も待って11時ころ、マルシュルートカはあと3人、タクシーが1人となったので少々高いが乗り合いタクシーで移動することにした。
写真は客寄せの運転手達。

グルジイ21

グルジヤ-アルメニヤの国境緩衝地帯をいく(グルジア側サダロフ、アルメニア側バクラタシェン)。
このように緩衝地帯はフエンスで囲まれた狭い歩道を歩いて越えるところが多いい。ここは小さな川(川幅5.6m)が流れていて其れが国境になっていた。

グルジイ22

向こうに見えている建物がアルメニアの出入国管理事務所。アルメニアのビザはイミグレの窓口の手前のもう一つの窓口で簡単に発給を受けられる。
パスポートを出してビザの発給を求めると、パスポートのコピーを取る、その用紙の裏側が申請書になっている。必要事項を書いて出す。ガイドブックに注意が有ったが、アルメニアでの宿泊箇所名およびその住所が空欄だと突き返された。わざわざ持ち歩いているロンプラをリュックの中から出して、適当に書いて出した。
ビザ代30$、50$札を出したらおつりが無いからだめだと言う。50m先の建物に銀行(両替所)が有るので札を崩してくる様に言われた。


正式国名 サカルトヴェロ 英名Georgia 慣用名 グルジア (注1) 
面積 69.8万㎢キロ (自称アブアジア 共和国、南オセチア共和国を含む)  人口469万
首都 トビリシ 126万

注1、グルジアは英名のGeorgiaと同様のロシア語のГрузияから来ている、グルジアとロシアの関係が非常に悪化した後、在日グルジア大使館より日本の外務省にこの国の日本語での呼称をジョージアに変更してほしいとの申し入れがなされた。日本政府としては過去からの経過、変更による混乱、米国のジョージア州との日本における混同など問題があるので応じられないと断った経過がある。


02
Category: アゼルバイジャン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO13

アゼルバイジャンはバクー港から12.01日に入国しまた。

当初の心づもりではコーカサス(カフカス)には12月始めには入るつもりでした、何とか01日に上陸出来ました。予定でこの地域は通過するだけと思い、1ケ国3日程度、計10日前後での通過を目論んでましたが、結果12.11日にトルコに出国する事が出来ました。

ここコーカサスには3ケ国があります。アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアです。ソ連崩壊前後からこの地域は紛争が絶えません、したがってここを旅するにあたって、情報収集をおこたりなく、緊張してこの地域を通過しなければなりません。今まで通過して来た中央アジアと周りの雰囲気ががらっと変わります。

残念ながらここの3ケ国の写真は一眼レフのカメラを持って行かれ、コンデジの写真しかありません、自分の注意が散漫だったために盗まれたのです、諦めました。

GAカフカス画像1

この3国の関係は複雑ですが陸路国境通過が不可能な関係は次の通りです。

アゼルバイジャン×アルメニア、国境は閉鎖。
グルジア×ロシア、第3国人は国境通過が認められていない。
アルメニア×アゼルバイジャン、トルコ、国境閉鎖。

カフカスの地図2

私の移動経路。バクーからトビリシは列車移動。トビリシからエレバンは乗り合いタクシー、エレバンからイスタンブールはグルジア経由でバスで移動。
なお、グルジアとトルコは日本人に関してはビザ不要。アルメニアは国境のイミグレの横にある窓口でアライバルビザと同様簡単にビザ取得可能です。

注、アライバルビザとは。
到着ビザで、航空機、鉄道、船舶で、ある国に入国しようとする際、その入国地のイミグレーションで発給されるビザ(査証)。◇「アライバルビザ」は和製語で、海外では通用しないので注意。英語で「visa on arrival」といい、「VOA」と略称されることも多い

アゼルバイジャン、バクー市

アゼル13

アゼルバイジャン、バクーの港、海はカスビ海である。カスピ海から産出される石油のパイラインの基地建設による好景気に沸いている。

アゼル1

フエリーから下船してタクシーに乗ろうとした。バクー駅にあるホテルに行こうと思ったからだ。値段交渉に入ると25$と言われた、地図で確認をしていたが2Km位しか離れていないのにだ。トルクメニスタンで630Kmを35$で移動してきたのになんと言うこと!! いくら交渉してもがんと値下げしない。仕方なく重い荷物を担いで歩くことにした。

アゼル2

12月だというのに汗でびしょびしょ。途中中華料理店があったので飛び込んで先ずビール、そして久しぶりに中華料理をたらふく食べた。物価は高い、日本の7~8割と言うところ。激安のトルクメニスタンからここに来るといっそう物価高が身にしみる。

アゼル3

バクー市は石油景気で建設ラッシュ、クレーンが乱立してこの写真のような新しいビルが続々と建設中である。

アゼル11

バクー市内の両替所、この表示は旧レート、アゼルバイジャン、マナトは2006年にデノミを行った。

アゼル7

写真左のMは地下鉄入り口の表示、バクー駅まえ。

アゼル8

地下鉄の駅舎。隣に旧鉄道駅舎があり、旧鉄道駅舎は改装中だった。

アゼル9

旧バクー駅舎。改装中。

アゼル10

旧駅舎と地下鉄駅を挟んで現在の駅があった、ここも中は改中、この建物の左側は高層ピルになっていて2階以上は改装中、1階はコンコースで窓口などは稼働していたが工事現場の様になっていた。このビルの5.6階部分にホテルがあったのであるが休業中、仕方なく海側に戻ってホテルを探した。

アゼル4

噴水公園。

アゼル5

アゼル

臨海公園近くのホテルに宿泊した。このホテル今まで泊まったホテルで最低だった。ホテル前の道路、ここでも車は渋滞状態。

アゼル18

アゼル15

臨海公園に屋外レストランがあり、朝食をとっていなかったので此処で食べることにしました。

アゼル16

コーヒーとケーキで朝食。カスピ海を見ながらのんびりした。

アゼル17

僕も食べたいよー。屋外レストランで朝食を食べていると猫が寄ってきた、ケーキーをあげるとスリスリして来て、膝の上に上がってきた。メロメロだ。
この後、旧市街の路地を歩き回ったがあちこちに猫がいた。古い路地の石畳の道を猫が横切って行く、塀の上にも猫。猫が街の景色に溶け込んでいた。

アゼル24

アサドルック広場

アゼル12

アサドルック広場向かいに建つ、Dom Sovetov (Дом Советов ソビエトの家)

アゼル19

コンサートホールと思われる。ロシアの有名な歌手のコンサートの看板が掛かっていた。

アゼル22

アサドルック広場

アゼル23

建物の壁に掛かっていた胸像。アゼルバイジャン語で書かれているので読めない。独立後この国では文字をラテン文字を基本とする独自の文字に変えた。街に中ではキリル文字は見られなかったがロシア語は問題なく通じる。

アゼル14

臨海公園から見るカスピ海

アゼル21

臨海公園から見るカスピ海

アゼル20

臨海公園から見るカスピ海

正式国名 アゼルバイジャン共和国 面積8.7万㎢ 人口830万 首都 バクー 人口207万

ナゴルノカラバフ問題について。
1990年代前半のアルメニア人勢力とのカラバフ地方をめぐる戦争は、事実上アゼルバイジャン側の一方的な敗北に終わった。国土の2割近くが占領され、国内難民は数十万に及ぶ、そのため、一般人の対アルメニア感情は大変悪い。身内に戦死者や難民がいる人もいるが、当局やマスコミがしきりに報復をあおっているからである。アゼルバイジャンに入国する場合、ビザに過去のアルメニア入国の形跡があれば入管で嫌がらせを受ける可能性が大で有る。また地図を持って居る場合検査を受け、ナゴルノカラバフ地域がアゼルバイジャン領土になっていなければ没収される。
反対にアルメニアに入国するさいに過去のアゼルバイジャン入国の有無については全く関心を持たれない。
戦勝国のゆとりである。


01
Category: トルクメニスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO12

11.27日、朝7時少しすぎに駅に出かけ当日のトルクメンバシュ行きのキップを買おうとしたが、売り切れで買うことが出来なかった。仕方が無いのでバスターミナルに行き、トルクメンバシュ方面の乗り合タクシーを探した。この時期(冬も近い11月下旬)、トルクメンバシュ方面に向かうバスは無く、乗り合いタクシーだけだ。それも人が集つまらない。ホテルで聞いてきたが、トルクメンバシュまで630Km、6時間、1台40$が相場とのこと。4人乗れば1人10$なのに外国人とみて50$と言う、1時間も粘っても30$までしか安くしない、3倍だ、それに人が集まらない、3時間待っても3人しか集まらない。面倒になって30$払うから出発してくれと、根負けした。

運転手はカラクム砂漠を西へ猛烈なスピードで飛ばしまくる、途中のドライブインで昼食をとりさらに西へ。途中同乗者が1人降り、また1人降り、1人なった。そうするとまだ終点のトルクメンバシュまで200Kmある砂漠の真ん中で40$払ってくれなければ、ここで降りて歩いて行けと言い出した。なんだかんだと宥めて35$まで値をあげてトルクメンバシュまで走らせた。でも考えてみると630Km、6時間、日本円にすると3,000円弱だ、只みたいな物。

トルクメニスタン、トルクメンバシュ市

トルクメニ

アシカバットからトルクメンバシュ間630Km、カラクム砂漠を西へ。タクシーは猛烈に飛ばす120km/h平均で走行した。

トルクメニ30

トルクメンバシュで泊まったホテル。最初訪ねたホテルは一泊10$、部屋を見せてもらうと清潔で無い、少し外れた所にこのホテルがあった、まあ見るだけと思い行ってみた。高い一泊50$。冷やかしに部屋を見せてもらったら広い!バス、トイレも大きくて清潔、日本ではどう考えても2万円近くするような部屋。それに朝食、夕食付きだ。
たまには贅沢と2泊した。

トルクメニ24

このホテルのロビーにもあのお方の巨大肖像画があった。

トルクメニ25

ダブルベットに一人寂しく泊まる。

トルクメニ29

朝食、パンはいくらでも食べられるが品数は少なかった。老人にはこれで十二分。

トルクメニ26

トルクメンバシュ港から見るカスピ海の夕暮れ。

トルクメニ27

トルクメンバシュ港から見るカスピ海の朝焼け。

トルクメニ60


待ちに待ったフエリーがやっと入港してきた、前日深い霧で一日中沖合に停泊して入港できなかった。

トルクメニ31

トルクメニスタンのトルクメンバシュとアゼルバイジャンのバクーを結んでいるフエリー、一応1日1便だがしょっちゆう欠航する。

国外退去処分を受ける!

タシケントのトルクメニスタン大使館で苦労して取ったビザは、トランシットビザ、有効期間5日間の物である。トランジットビザは通常5日間の物しか発給しない。最終日は11.29日、この日の11:59分までに出国手続きを終了しなければならない。

この国の印象があまり良く無かったので1日早く出国しょうと27日夕方トルクメンバシュに入った。翌28日は朝から深い霧。9時過ぎに2Km離れた港のフエリー乗り場に行ってみる。窓口で聞くと船は沖合に停泊しているが霧で入港できないと言う。12時過ぎまで待ったが入港しないし霧も晴れない。窓口の係官が一端ホテルに戻って待機してほしいと言う。入港が決まったら電話で連絡するからと言われ、ホテルに戻った。夕方まで連絡が無いのでもう一泊することにした。午後8時過ぎに電話が入り、今夜は入港しない、明日は霧が晴れると天気予報も出て居るので入港するだろう、明日の朝9時までにターミナル待合室に来て待ってほしいとのこと。

翌29日は朝から快晴、しかし船は入っていない。結局船陰が見えだしたのは夕方7時を過ぎていた。9時過ぎに接岸、乗客を降ろし終わったのは10時過ぎ、ビザが切れそうなので早く出国手続きと焦るも、係官はもう少し待てのみ。

結局出国手続きの受付を開始したのは日にちをまたいだ30日午前00.32分。私のバスボートを見た入出国管理官は即座にニエット(ロシア語でNOの意味)と宣言。このパスポートに問題があるが判っているかと言うので、判っていると答えると、他の人の出国処理を終えるまで待てと言われた。

01.00時過ぎ呼び出されて行くと、滞在期間が経過しているのでこのままでは出国は認められない、不法滞在であると言う、たった35分くらい、それに不可抗力であり、事前に係員にその旨伝え指示を仰いだのに、と抗議したが35分も1日も同じ不法滞在だという。出国に関する権限は私一人にあるので一般の係員に指示を仰いでもだめだという。

1.不法滞在に対する罰金450$を国の指定する銀行の口座に払い込んでその領収書を持参すること。
そんな大金は持って居ない、もしあったとしても、真夜中の1時過ぎに窓口が開いている銀行が何処にあるか!直ちに拒否。
2.1に従わいない場合、首都のアシカバットへタクシーで行って法務省に出頭して滞在日延長の手続きをしてタクシーで戻って来ること、この場合延長手数料600$、首都まで630Kmをタクシーで往復なんてそれも600$、馬鹿らしい。直ちに拒否。

1.2とも拒否をするのであれば、不法滞在で国外退去処分に処すと宣言された。最初日本に戻れと言われたがこの国からの直行便はないので断ると、何処の国のビザがあるかと聞かれた。アゼルバイジャンのビザはあるというと、身柄をアゼルバイジャンに送るという。それって、最初からアゼルに行くつもりだったので、即刻受け入れた。

パスポートに不法滞在により国外退去処分になった、今後5ケ年間の入国を禁ずる旨のスタンプを押すと言う。そんなスタンプが押されたパスポートを持って居る人はほとんど居ない、記念になるので2つでも3つでも押してくれとからかってやった。

船には正式な出国で無いので乗船できないという。そのとき他の係員が私の後ろに来て耳元で小さな声で、船長に90$渡すと船に乗せてくれると囁く、うん、それって船長に賄賂を渡すと乗せてくれるって言うこと?
。了承した。90$はちよっと痛いが日本円で7.500円位のもの、450$や600$に比べると何のことも無い。

その後入出国管理官は2時間もかけて関係書類をパソコンで作った。真っ白な紙を渡され、自筆の顛末書をロシア語か英語で書けという、日本語であればかけるが、ロシア語や英語では書けないと拒否すると、こちらで書くが良いかと言う、はいはい、この国を出てしまえば後はどんなことを書かれようとまかせますと白紙に署名だけして渡した。一連の処理が終わったのは3時過ぎ。

船に乗ろうとしたら一般の乗客の乗船口と違うところに連れて行かれ、すぐ船長室に、入管になにか言われたかと言うので船長に90$渡すように言われたとこたえると、領収書は出せないが、其れで良いかと来た。即刻現金で払うととたんに上客扱いに変わった。

トルクメニ35

カスピ海、本当は世界最大の湖だが、全く海だ。トルクメンバシュ、バクー間結局35時間かかった。

トルクメニ34

フエリーはボロボロな船、客室も穴だらけ、全く手入れをしていない古い船だった、乗客も5人しか乗っていないので、食堂は休業。この部屋ツインで良い方、一応トイレ、シャワーはあるがトイレの水が流れっぱなし、便座が無い、シャワーも水が漏れていて使えなかった。乗船賃15$とシーツ代3$計18$、一番安い部屋2段ベットの4人部屋は10$だった。

トルクメニ33

持ち込んだ食料が途中で切れた。船員が時々顔を見せて『食べ物はあるか』と聞いてくる。無くなったというと船員食堂に案内されて無料で食事を食べさせてくれた。(当たり前だ、前にも書いたがが船長に90$もワイロを払っているのだから)

トルクメニ36

12.01日早朝まだまっ暗なうちにフエリーはアゼルバイジャンのバクー港沖に到着したが沖合に停泊して、下船したのは午後3時だった。写真の船はこれからトルクメニスンに向かうフエリー。

アゼルバイジヤンのイミグレで私がパスポートを出すと係官が集まってきた。ニヤニヤしながら『おまえ、トルクメニスタンで何をやらかしたのか』と言う、事情を話すと、アゼルでは期間中に出国してくれよな、と言われた。

トルクメニ54

この写真が、この度の旅行の花丸スタンプ、話の種にもってこいだ。5ケ年間入国を禁じられているがこんな国に二度と来るものか、何処に行ってもジェンギ、ジェンギ、もう沢山だ。


トルクメンバシュ (旧名 クラスノヴォーツク この名前の方がこの国では通ずる) 人口6.5万

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