HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


In 06 2011

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Category: トルクメニスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO11

11.26日朝6時前まだ夜が明けていないアシガバット駅に列車は入った。

トルクメニスタン、アシガバット市

トルクメニ12

夜明け前のアシカバット駅舎。

トルクメニ15

朝早かったのでホテルのチェックインは午後からにして、大きな荷物は駅の荷物一時預所に預け、町に出てみた。ここは大学らしい。

トルクメニ14

夜が明けてきた、町にはゴミがほとんど落ちて居ない、もちろんタバコの吸い殻など全くない(当たり前だ、全面禁煙なのだから)。後で判ったが、日が昇る頃多くの清掃員がいっせいに街中に繰り出して町の清掃を始めた、軍隊も清掃に当たっている。
人海戦術で街中の清掃をしているのはいいが、歩道は段差だらけ、所々にある車道横断のトンネルも階段。街角の交通信号は最新版のLEDだか、歩道からほとんど見えない、車のことしか考えていないようだ。障害者なんか全く眼中に無い。

トルクメニ17

金色のドームは大統領官邸。

トルクメニ16

この町でも大統領の巨大肖像画か町中に氾濫している。

トルクメニ18

11月も下旬になったと言うのに木々はまだ緑を保っている。

トルクメニ19

朝から街中を散策していたが昼近くになったのでいったん駅に戻り預けてあった荷物を受け取りホテルに向かった。

トルクメニ13

このホテルに2泊した(ホテル、アシカバット)。1泊30$。
ソ連時代の旧式システムのホテル。7階もあるのにエレベーター動いていない。各階の階段を上がったところに鍵番のオババが机を出して座っている。外室する時にはこのオババに鍵を預て出かける。

トルクメニ20

ホテルの4階客室から見たアシカバット駅舎。

トルクメニ21

街の中心部を覗む。

トルクメニ22

トルクメニ37

朝日に輝く大統領官邸の黄金の丸屋根。
ここアシカバットは1948年の大地震で全市が壊滅。その後再建された街は典型的なソ連の中都市風だったが、それも独立後の90年代半ばからにわかに激変しだした。初代、終身大統領のトルクメンバュが、新生トルクメニスタンの都を『世界で最も美しい都市の一つ』に変貌させるべく、自ら大規模な都市改造に乗り出し、天然ガスから得られる富を惜しげも無くつぎこんでいる。
その姿は、あたかも征服地の富と人材を帝都サマルカンドの建設に集中させたチムールを思い起こさせる。
ただバシュの場合その関心は、都市機能でではなく、もっぱら美観の向上にあるらしく、とくに大統領をたたえるモニュメントと肖像画、政治的スローガンが過剰なほど街中にふれている。

トルクメニ38

トルクメニ39

独立記念塔。

トルクメニ40

ベルゼンキとよばれるホテル、ビジネス街。

トルクメニ41

あちらこちらで都市大改造中、工事だらけで歩道はほとんど歩けない。トルコの建設会社が多く入っているようだ。

トルクメニ43

アサディ広場の金無垢の大統領像。

トルクメニ55

アザデイ広場のトルクメンの名馬アルハ、テケ種の像と噴水。

アザディ広場からの展望。(動画)

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トルクメニ44

トルクメニ45

トルクメニ46

トルクメニ47

トルクメニ48

トルクメニ50

トルクメニ51

訳のわからない巨大な建物が延々と続く。お伽の国に迷い込んだようだ。

トルクメニ52

早朝から働く道路清掃員の女性、

トルクメニ42

女学生達も民族衣装を着ている、男子学生も全員黒の背広でラフな姿の若者達はまったく見なかった。

トルクメニ49

バスの待合所

トルクメニ53

朝やけ浮かび上がるアシカバット

トルクメニ23

この親父、アシカバットからトルクメンバシュへの乗り合いタクシーて一緒だった親父。いやに馴れ馴れしく調子がいい親父と思ったが、最初から最後までたかってきた。
タバコを一本恵んでくれ、ジュースを飲んでいたら一口飲ませろ。昼近くなったころ『もうすぐドライブインに寄って昼飯だ、一緒に食べよう、一杯飲もう』と宣った。強く断って離れたテーブルで昼食を食べているとウオッカの瓶とカップを2ケもってやって来た。一緒に飲もうと言う、あっちに行けと!怒鳴りつけた。

食事を終え会計を求めるとものすごく高い、(どうしてこんな値段になるのか)と聞くと、彼処にいる人が2人部分の食事代とウオッカ代を私が払ってくれると言った、と言う。馬鹿も休み休みに言えととどなってやった。もちろん自分の分のみはらってドライブインをでた。

タクシーの乗り込むとケロッとして乗り込んで来て飲みかけだった私のシジュースを飲ませろと言う。残っていた分を全部飲み干して、空の瓶をわたしてやった。

この国の者は行く先々でたかってくる、道を聞いた警察官も、別れ際にまた、ジェンギ、ジェンギだ、この後行った、トルクメンバシュでも警備をしていた兵隊が寄ってきてジェンギ、ジェンギと親指と人差し指をこすり合わせる。おまえらこの言葉しか知らないのか!!、と思ってしまう。民族的なものか??

注、ジェンギ(деньги ロシア語でお金のこと)

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Category: トルクメニスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO10

11.22日フエルガナからいったんタシケントに戻り、23日トルクメニスタン大使館に行ってみました、この時も朝6時に席取りをしました、11番目でした。11時再度行くとトルクメニスタンから入国許可が来ていました。パスポートを出して再度正式のビザ申請です。翌23日の午後5過ぎにビザを交付するとの事でした。

23日5時前に再度出頭、ビザを受け取り直ちに地下鉄でタシケント駅に直行、当日夕方発の列車のキップを買うことが出来ました。8時過ぎタシケントからブハラへ寝台列車で移動となりました。

この列車、線路の保守が悪いのか縦揺れ、横揺れで脱線しないかと思うほど揺れ続けた、朝7時頃やっとブハラに到着。ブハラ駅は市中心部から東へ12Km離れた郊外あり、トルクメニスタン方面へのバスターミナルは反対側の西の町外れにある。バスセンターに向かおうとタクシーを捕まえると此処から国境まで走るから乗って行けとしつこい。運転手は良いかもを捕まえたと必死だ。1人で乗ると高いのだがこの季節(冬がちかずいている)トルクメニスタンなどに行く人は居ない、マルシュルートカや乗り合いタクシーを待っていても何時出るかも判ないと、喚く。こちらも面倒になりこのタクシーで国境まで行くことにとにした、運転手の言うように国境方面に行く車は1台もいなかった。

1時間くらい走って国境に到着。イミグレの前に数十台コンポイ(大型トレーラートラック)が停車している。渋滞しているトラックの脇を荷物を担いで一人イミグレの建物に。運転手が言ったように歩いて国境を越えようとするする者は私の他には居ない。国境越えの審査が厳しいと聞いていたが簡単にウズベキスタンを出国出来た。

ウズベク20

トルクメニススタンのイミグレの建物が遙か彼方2Km位先に見えている。ウズベク側にいた警備員がこの緩衝地帯は歩行禁止、近くに駐車しているマイクロバスに乗れという、1人乗ってトルクメニスタン側へ、7$も取られた。

トルクメニスタンのイミグレーションの建物に入ると、事務室にかかっている巨大な大統領の肖像画が目に飛び込んできた。さすがー、中央アジアの北朝鮮と揶揄される国たけある!緊張に身が引き締まる。入国税と称する訳のわからない税金を10$もとられて、無事入国できた。
建物を出るといつもであれば客引きのタクシーの運転手に囲まれるのであるが、ここではタクシーが1台しか停っていない。車代を交渉すると安い。近くのトルクメナバット駅まで移動した。街に入る前にアムダリヤ川を渡った。10時前に駅に到着した。




トルクメニスタン地図1-1

トルクメニスタン、トルクメナバット市

トルクメニ1

トルクメナバットの駅舎、近代的でモダンなものであった。午前10時前国境からここへ直行した。首都アシカバットまでの列車便を調べると1日2本、午前と夕方にある、夕方の便に乗るとホテル宿泊を1回回避できるのでこれにした。キップを買うと12トルクメン、マナト(365円)だという、桁を聞き間違ったのかと何度も聞くも365円という。5時過ぎに乗車して翌日朝6時着の寝台ワゴンである、あまりの安さでびっくりした。

トルクメニ2

駅入口にたたずむトルクメニスタン美人。この国の女性達は皆このような裾の長い服を着ていた。

トルクメニ8

午後5時過ぎに列車に乗り込む、乗客は少なく私の客室は1人だった。荷物を客室に置きホームに出てタバコを吸っていると車掌が飛んできて、この国ではいつでも何処でもタバコは全面禁止だ、警察に見つかったら巨額の罰金を取られるという。前の大統領が肺がんで入院した時に、大統領令で全面禁止になったそうだ。着いたばかりで朝から夕方まで屋外でタバコを吸っていた、危ない危ない。
イスラム教徒はほとんどタバコを吸わないから不平は出ないのであろう。ロシア人やウズベク人は隠れて吸っている。

列車が出て客室で寝ていると9時過ぎに車掌がやって来た。車掌室で内緒でタバコを吸わせてやると言う、
親指と人差し指をこすり合わせてゼェンギ、ゼェンギ(ロシア語でマネーの意)と言う。

この後この国の何処でも、警官、兵隊まですぐゼェンギ、ジェンギと言ってくる。全くいやな国だ。



トルクメニ3

この国の別名は中央アジアの北朝鮮と言われている。何処に行っても大統領の金無垢の銅像、巨大肖像画が目立つ。スヤーゾウ広場の金無垢の大統領銅像

トルクメニ7

トルクメニ5

北朝鮮と違うのは外国のテレビを観る事は出来る。アパートの屋根上には大型パラポラアンテナが乱立している。ホテルでテレビを観ていると朝から晩まで国威発揚場番組ばかり、たまにある歌番組も男女の歌手が直立不動の姿勢で古い民謡調の歌を歌っている。これでは国民が外国の番組を観たがるのは無理がない。

トルクメニ6

ここでも大統領の巨大肖像画。

トルクメニ9

駅舎内の肖像画、年を取った婦人たちがこの肖像画を見て『いい男だねー』と話していた。吹き出しそうになった。

トルクメニ11

駅前のレストランでまたラグメンを食べた

トルクメニ10

列車が市街地を離れると貧しい住宅が続く。ここの列車もよく揺れた。

トルクメナバットからアシカバットに列車異動中の車窓からの景色。

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正式国名 テュルクメニスターン 慣用名トルクメニスタン 面積 48万㎢(日本の1、3倍) 人口504万
首都 アシガバード 84万

トルクメナバッド 人口16万。
アムダリヤ川に近いレバーブ州の州都゛旧名チャルジュウはペルシャ語のチュハル。ジュブ(4つの流れ)が訛ったもので、15世紀に遡る歴史的な名前だった。独立後突然にトルクメナバット(トルクメンの町)に変えられた。

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Category: ウズベキスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO9

11.20日リシタンからいったんコーカンに戻り一泊した後、次の日フエルガナ市に移動しました。

ウズベキスタン フエルガナ地方、フエルガナ市 

フエルガナ8

アル、フアルガーニ公園のアル、フアルガーニ像(9世紀の文学者)。

フエルガナ5

ここは田舎、住宅地の路地。時間がゆっくりと流れている。

フエルガナ4

フェルガナではホームスティーをした。コーカンのゲストハウスでフエルガナの格安の宿を探してくれ、ホームスティーをすることにした。住宅街に有るこのアパートの三階。大学生とそのお母さんの母子家庭家族。一泊20$、2泊した。

フエルガナ6

バスターミナルの賑わい。

フエルガナ1

バスターミナルの隣にあるバザール。ラクビーボール状の果物はうり(中国新疆で言うハミウリ)、メロンである、向こうにあるのはすいか。

フエルガナ3

スイカの運び出し、三輪車が活躍している。

フエルガナ2

スイカとメロン(ハミウリ)売り場。

フエルガナ7

キャベツ売り場。この地フエリガナ地方が農業地帯だということがよくわかる。くだもの野菜が豊富に売られていた。だだ、スイカやメロンは日本では夏の果物だがここでは11月も半ばだと言うのに多量に入荷して売られている。
買って食べてみたいが1人旅の自分とっては大きすぎて持てあますので我慢していたら、メロンをスライスして食べさせてくれた、糖度がが高くみずみずしい、大変おいしかった。お金を払うとしたが受けとってもらえなかった。

そういえばここに来る途中、ロシアのバイカル湖の北のテンダで雪が降り続く中、道端にスイカを山のように積んで売っていた、どうも我々とは感覚が違うようだ。

フェリガナ 人口23万。現在フェルガナ州の州都。町の歴史は1876年の帝政ロシアがホーハンド、ハーン国征服後フェルガナ支配の拠点として築かれた要塞に端を発する。街並はロシア的で緑が多かった。

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Category: ウズベキスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO8

11.18日近くの町リシタンに行ってみた。

ウズベキスタン、フェルガナ地方 リシタン

リシタン4

日本語学級、NORIKO学級を訪ねました。

のりこ学級について詳しくは次を見てください。
http://rjc.bz/noriko.html

リシタン3

中にはこのような教室があり、学校帰りの子供たちがいつでも立ち寄れる様になってます。
昼過ぎになると学校帰りの子供たちが三々五々此処に立ち寄っていきます。久しぶりの日本人だったのか、私を見て先生、先生と言って集まってきます。最初先生と言われ戸惑いましたが、考えてみると、日本語を勉強している彼らにとって日本人は皆先生です。

今勉強している日本語のフレーズを使って盛んに質問をして来ます。小学校の4.5年生、まだ語彙が少ないものから結構話が出来る子まで皆んな積極的に話しかけてきました。中にいた男の子がロシア語を自由に話しましたので少し難しい日本語はロシア語で説明して通訳してもらいました。

リシタン1

此処、リシタンは陶器でも有名な町、門を入ると陶器工房があり陶工が制作中でした。中は展示場にもなっていました。

リシタン2

陶器工房

リシタン5

陶器工房

リシタン7

午後3時過ぎにここの校長をしているガニシェルさんが教室に立ち寄りました、流ちょうに日本語を話します。

NORIKO学級で校長をしているガニシェールさん宅に1泊させてもらう事しました。
ガニシェルさんが『今隣の部屋で妻の友達が集まってお茶をしている、女性ばかりだが、もしよければ、一緒しませんか』と誘われた。
日本と同じように絨毯が引かれた部屋に座布団それに座卓、女性たちがおしゃべり中でした。皆さんインテリ、女医さんばかりででした。ガニシェルさんの奥さんは写真向かって右端の方、産婦人科医です。
1時間半ほど話に入れてもらいました、全員ロシア語は流ちようです。


リシタン6

11月も下旬、冬が近ずいています。ポプラの木もも葉を落としだしていました。この景色、中央アジアの典型的な景色です。

リシタン人口約4万。
ここはウズベキスタンのフエルガナ地方のの南部、キルギスの国境近くの小さな町です。ここでは1.000年以上も前ら、地元の土を使って陶器作りが行われてきました。タシュケントなとで売られている、鮮やかに青と繊細な模様の入った陶器は、リシタンの特産品です。




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27
Category: ウズベキスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO7

11.16日、タシユケントからフェルガナ地方のコーカンに移動しました。

ウズベキスタン、フェルガナ地方 コーカン(コーカンド)市

フエルガナ地図3

フエルガナはウズベキスタンの穀倉地帯だ。四国と同じくらいの面積の土地に600万を超える人が暮らしていて、人口密度が高い(日本並みの340人/㎢)、現在のフェルガナは基本的には農業地帯で文化的にはかなり保守的な地域である。タシュケントからこの地域に入る為にはカムチク峠(2.267m)経由のルートしか無い。この時期タシュケントのコイルックバザール近くのアフトバクザールから乗り合いタクシーしかなった。途中何回も検問を受けた。

フエルガナ地図2-1

コーカン市(露語ではコーカンド)。
10世紀頃この地にはかってオアシス都市コーカンドが有ったと言うが、現在の街は其れとは別。ここの最盛期は19世紀前半で300ものモスクやマドラサがあったという。現在の人口は18万人。 

コーカン4

フルカット公園の歩道。冬が近づいて来ている。

コーカン2

初冬の早い落日。

カーカン1

街中にはぽポプラの並木が目に付く、これこぞシルクロードの景色だ。

コーカン3

ここには古くからの大小の運河が縦横無尽に張り巡らされているが、この写真の様にゴミだらけ。

コーカン5

ここは田舎、時間がゆっくりと流れている。

コーカン7

この国でも中国と同じく三輪車が多く走っていた。

コーカン6

この中型バスはいすずの物、ここフェルガナに韓国のGM大宇の自動車工場があり、この国にはこのGM大宇の車がほとんどだ。日本製の車はこの中型バスのみだった。

コーカン10

庭に植えられた柿の木。この国のりんごも梨も柿も小さく硬かった。

コーカン8

町の中心部に有ったハマーム(公衆浴場)。時間が無く入られなかった。

コーカン9

小さななモスク。ダフマイ、ジャハーン

コーカン11

金曜モスク、ジャル、マスジテイ。

コーカン12

この時期、初冬は毎朝深い霧が街を覆う、時には午後の2時頃まで霧が晴れませんでした。

タシケントからコーカンへは乗り合いタクシーで移動、到着後心づもりをもしていたホテルに行くと改装中、この後コーカンの街中を歩いてホテルを探すも廃業や改装中で断られやっと5軒目で営業をしていそうなホテルを見つけ飛び込む、外は暗くなりかけてきた。ところが此処でも出てきた留守番の女性が、近々改装工事を始めるので宿泊客を受け付けないようオーナーから言われているとの事であった。

途方に暮れていると留守番の女性は、遠くから来たので疲れているだろう、中に入って休んで行くよう勧めてくました。暖房が入った事務室に通されました。お茶と食事を出してくれて、チョット待ってと、電話をかけて受け入れてくれるホテルを探してくれました。安いホテルがあり宿泊OKとのこと、タクシーも呼んでくれ、送り出してくれました。食事代を払おうとしましたが受け取ってくれませんでした。

今回の旅では各地で親切に対応してもらいましたが、こんなに親切にしてもらったのは初めてです、感謝、感謝でした。







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25
Category: ウズベキスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO6

11.08夜半8時過ぎにウズベキスタンの首都タシュケントのホテルに入ることが出来た

ウズベキスタン 首都タシュケント市

ウズベク17

タシケントで泊まっていたホテル、ロウシャン。中級ホテルの最安値の部屋35$、トイレ、シャワー、テレビあり清潔。

タジキスタンのイミグレーションは問題なく通過したがウズベキスタンのイミグレーションは100人以上の人々で大混乱、タジクの婆ちゃんがもう6時間も待っている、何時になったら入国できるのかと喚いている。観察していると、どうも入管職員がまともに仕事をしていない。一人のパスポートを受け取ると10分以上なにやら調べて、パソコンの画面とにらめっこ、パスポートを机の上に放置して、他の職員と雑談を始じめた、しまいには部屋から出て行って外でたばこをのんでいる。
この所ウズベキスタンとタジキスタンの関係が悪化している。どうも嫌がらせの様だ。2時間以上待ったがいっこうに進まない、我慢しきれなくなり、俺は外国人だ!!日本人だ!、と怒鳴った。入管職員の幹部らしいのが飛んできて、パスポートを見せろという。見せるとすぐに処理して入国できた。後ろで何で日本人を優先するのかと怒鳴っている。
其れを見て中国人の夫婦が自分たちもと言い寄ったが、中国人は最後だと怒鳴り返されていた、ああ、すーっとした。
そんなわけで国境通過が遅れイミグレを出た頃はすっかり暗くなっていた。タクシーに飛び乗って50Km離れたタシケントへ急いだ。8時過ぎにやっとホテルへ疲れ切って飛び込んでいた。ドウシャンベを出たのは早朝5時、ホテル着は夜の8時だった。

ウズベク3

アミール、チムール広場のチムール像。2009年3月にここに来たときは周りに木々が多く公園の林の中にこの銅像が有ったのに今は木々がすっかり無くなっていて銅像が目立つ。


ウズベク4

チョルスゥ、バザール近くの繁華街。

ウズベク5

金曜モスク(ジヤーメ、マスジディ)、15世紀に建立され、最近になって再び礼拝に用いられるようになっている。

ウズベク6

チョルスウ、バザールの賑わい。
このバザール近辺には闇の両替商が沢山たむろしている、警官に見つからないようによく利用させてもらった。

ウズベキスタンに入国したときイミグレは畑の中、近くに街が見えない。入管職員に両替するところが近くに無いかと聞いたところ事務所の裏側に国の正式な両替所があると教えてもらった。行ってみると本日のレートは1$は1.665ウズベキスタンソム(Us)との事、100$両替したら166枚の1000Us紙幣とだら銭を渡された。1.000Usがこの国の最高額紙幣である。
タシケント市街に入って両替え所が見当たらない、聞くと銀行の中にあるが皆バザールなどの闇両替を利用しているとのこと。もちろん違法行為で見つかると捕まる。チョルスバザールで聞いてみると1$は2.225Usだという、これでは馬鹿らしくて銀行の正規レートで両替する人は居ない。
ただ人混みの中で違法両替をすることになり、輪ゴムで止めた100枚の札束を渡され数えることが出来ない、ホテルに帰って数えてみると2.3枚不足している。それでも正規レートより良い、あきらめることにした。

ウズベク2

民族服売り場、この柄がウズベキタン特有な柄。

ウズベク7

バザールの屋外レストラン゛私も昼食をとった、11月半ばというのに暖かかった。

ウズベク1

こんな看板が街中に立っていた。この姉ちゃん中国服を着ている。街中のスーパーでも時々寿司を見ることが出来る。ただ海苔巻き寿司が多くフイルムで包装してある、何時作った物かわからない、とてもじゃないが買う気はならなかった。

ウズベク9

タシケント駅。まだ新しい駅であったがトイレは猛烈に汚れていた。

ウズベク10

駅横のホームへの出入り口。旧ソ連圏の駅はどこでもホームへの出入りは自由、中には車をホームまで乗り入れる事が出来るところが多いい。

ウズベク13

駅の近くにあった鉄道技術博物館。数十車両の機関車、蒸気機関車、列車が展示されている。

ウズベク14

ウズベク16

タシケントのトラム(ロシア語でトランバーイ)。

ウズベク15

タシケントの夕暮れ。

ウズベク12

タシケント駅横にあった中国料理店。

ウズベク11

久しぶりに中国料理を楽しんだ。麺料理とご飯、ヒールで900円位だった。

ウズベク18

ホテル、グランド、ミール前の大通り。

ウズベク19

在タシケント、トルクメニスタン大使。ビザ取得のために何度も通った。


正式国名 ウズベキスタン共和国  面積約45万平方キロ(日本の1.2倍) 人口2.700万人 
首都タシユケント 人口216万人

ウズベキスタンに11.08に入国して、11.25にトルクメニスタンに出国した。この国に長期滞在したのは此処でトルクメニタンのビザを取得する予定だったからだ。

ウズベキスタンの隣国、トルクメニスタン。この国に入国する為にに取得をしなければならないビザには観光ビザとトランジットビザがある。観光ビザは事前にこの国の旅行社に旅行計画を作ってもらい、宿泊場所、移動手段をきめ、その代金を前払いしてビザの申請をしなければならない。その上に旅行中は旅行社の案内員(監視員)が常に付くことになり、その経費もこちら持ち、自由行動は出来ず経費も高額になる。
いっぽうトランジットビザは次に移動する国のビザを持っていれば、5日を限度に発給され、入国後は自由行動が出きる。この国の大使館は日本には無いため他国で取得申請しなければならず、ここタシュケントでトランジットビザを申請することとしたのである。事前に知ってはいたが大変時間がかかった。

この国に入った次の日は1日かけて街の中を歩き回り土地勘を取り戻した(前の年の3月ツアーで此処に2日滞在していた)、そしてトルクメニスタン大使館の位置を確認してホテルからの道を確認しておいた。
10.10日早朝まだ真っ暗な4時過ぎにホテルをでて大使館受付に置かれてある紙に自分の名前を書いていったんホテルに戻った。朝の4時半で既に5番目だった。

なぜこんな事をするかと言えば、ビザ申請受付は11.00から12.30までの1時間半で、事務処理上20人程度しか受け付けていない。10時や11時行ったのでは30番目以下になり次の日にまた来いとなる。其れで受付順の席取りをするのである。
11時少し前に再度行った。11時を過ぎると塀の鉄索を少し開け紙に書かれた順に2.3人づつ中に呼び込まれる。見ていると警備員にお金を握らせ先に入っていく者もいる。

中に入りビザ申請に来たとパスポートを出すと申請書用紙(アンケータ)を渡され、記入して出すとパスポートのコピーを取って、10日後に来いとのこと、10日は営業日かと聞くと営業日だと言う、何度も念を押したが営業日と言う、うへー、土日を挟むと実質14日後になる、あきらめるしか無い。実際にはちょっと早めの12日目に行ってみたら本国から回答が来ていて11.24日にビザは受け取ることが出来た。

次の日はアゼルバイジャン大使館に行った。個々では即日ビザを取得することが出来た。

2週間以上この国に滞在しなければならないので、ウズベキスタンのまだ訪れて居ない田舎に行ってこようと思った。2009年3月にツアーできたときに、サマルカンド、ブハラ、ヒワ、シャフリブスを見て回ったので、まだ訪れていないフエルガナ地方に行って再度ここタシユケントに戻ることにした。

11.16フエルガナ地方のコーカンに移動、以後、リシタン、フエルガナ各市で宿泊し11.23日にタシケントに戻ってきた。

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23
Category: タジキスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO5

2010.11.06キルギスのビシュケクから飛行機でタジキスタンの首都ドゥシャンベに移動しました。

タジキスタン 首都ドゥシャンベ市

タジク1

ドウシャンベに到着してすぐ新しい空港トイレに行った。びっくりした。写真の通り、できたての建物のトイレがこの状態。建築の施工がいい加減なのか、または粗悪資材が原因なのか。一国の首都を代表する国際空港のトイレがこんな状態とは日本人の我々には理解ができない状態であった。

タジク4

ドウシャンベの中心部にあるトスティー広場に有ったイスマーイール、サーマーニー像。

タジク9

此処の首都ドウシャンベは小さいながら、いや。其れだからこそかもしれませんが、公園の中に街が有るような緑の多いまちです。歩道も広く、両側から並木がかぶさっています。早朝気持ちよく散歩をしました。

タジク5

車道も大木の並木に囲まれ、緑のトンネルの様でした。

タジク2

到着した日ホテル前の広場で屋外コンサートが始まり多くの人が集まっていました。若い娘たちも民族衣装を着て集まってます。たぶんこの国で有名なな歌手と思われる男性が舞台で歌い出すと、若者たちが一斉に舞台の前に駆け寄り踊り出しました。

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タジク3

この国の民族はタジク人が約80%です。この民族は中央アジアの他の国を構成している民族がトルコ系の民族なのと違いイラン系の民族です。アジア系の顔立ちは少なく、インド、ヨーロッパ系の顔をした人々が多いいのです、また街中のレストランもイラン料理と書かれた物が目につきました。

タジク7

旧国民経済博覧会の建物(ВДНХ、ベーデンハー)。

タジク6

コムソモール湖公園の噴水(11月なので水は止められている)

タジク10

中央公園。

タジク8

中央公園。

タジク11

ドシャンベ駅のホーム。閑散としている。この国の鉄道もソ連が崩壊して鉄道線路が各国に分断され長距離列車の運行に支障が出、衰退している。

タジク12

シャンマンスール(青ものバザール)で売られていたすいかとメロン。

タジク13

バザルで売られているブリキの商品。

タジク17

中央公園から見る落日。

タジク14

ホテル前の広場の屋外レストランで、カバブービールを楽しむ私。

タジク15

肉は牛肉、ケバブー、またはカバブーとも言う

タジク16

ぱんは中央アジア各国ではこのような丸いパン。大変おいしい。

タジク18

ホテル、ワフシュの部屋。中級ホテルの最も安い部屋、シャワーが壊れていて水が出ないしトイレの水は流れっぱなし。

タジク21

11.06ウズベキスタンに乗り合いタクシー移動した。当初パンジャケント経由サマルカンドに抜けようと思ったが、国境が閉鎖されてたため、フジャント゜経由タシュケントへ行くこととした。
この国は国土の90%以上が急峻な山岳地帯、車は街を出ると山岳地帯に入った。アレッ、ここ何処で見た景色。そうだ以前行った北部パキスタンのKKR(カラコルムハイウエー)沿いの景色と同じ。

タジク19

途中、アンゾーフ峠(3.374m)、シャブリストーン峠(3.378m)を超えて北に移動した。峠上は積雪、道路は所々アイスバーン状態、運転手はバンバン飛ばす。そのうちに両手をハンドルから外しイスラムのお参りをはじめた、スピードは落とさずにだ。大声でコーランをがなり立てながら両手で顔をぬぐう仕草をしている。これにはまいった

タジク20

午後険しい山岳地帯を抜け次第に平野部に下がって来ました、のどかな村々があらわにて来ます。

タジク24

フェルガナ盆地に入り、フジャンドの街に入りました。暖かく長袖では暑いくらいです

タジク22

この町の高台に城跡、ムクデッパがありました。

タジク23

フジャンドから2時間以上かけてウズベキスタンとの国境、フォーテホホートのイミグレイションにつきました、タジク側の出国手続きは簡単済みましたがウズベク側の入国は非常に時間がかかリました。
写真は国境の入出国管理所。

下の動画は移動途中に寄った住宅地で偶然で出会った花嫁を迎えに行く儀式。花婿が友達ともに歌を歌いながら、花嫁のすむ家に向かいます。近所の人々や学校帰りの子供たちが集まってきました。アパートの入り口前で踊った後みんなで入り口を入っていきました。

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正式国名 タジキスタン共和国 面積14万平方キロ(日本の4割)人口680万人 首都ドウシャンベ 
人口64万人、国土の94%以上が山地に覆われの半分は標高3.000m以上で有る。

カザフスタンのアルマトゥィ、キルギスのビシュケクからここドゥシャンベに入るといっそう田舎の感じがする、女性たちは民族衣装を着けている、道行く人々はほとんどタジク語を話しロシア語はほとんど聞かれない。でもロシア語で話しかけると誰でもロシア語で返事が返ってきた。
街中にはゴミがほとんど落ちていない。道路もアナボコが少ない。2泊しか居なかったが良い印象を受けた。

前の2ケ国て予定以上の日を過ごしてしまったので11.08日、2泊でウズベキスタンに移動した。






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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記解説編

下の地図は私が今度の旅で移動した、中央アジア、カフカスの各国の移動経路地図です。

この度の旅の概要は次の通りです。

通り過ぎた国々。 
ロシア連邦  Russian Federation
カザフスタン共和国、   Republic of Kazakhstan
キルギス共和国  Kyrgyz Republic
タジキスタン共和国  Republic of Tajikistan
ウズベキスタン共和国  Republic of Uzbekistan
トルクメニスタン  Turkmenistan
アゼルバイジャン共和湖区 Republic of Azerbaijan
グルジア  Georgia
アルメニア共和国     Republic of Armenia
トルコ共和国       Republic of Turkey
以上10ケ国。

旅の日程
2010.10.06 朝7時に自宅を出て、新千歳空港へ、新千歳-ロシア、ユジノサハリンスク。ロシア入国。
        ユジノサハリンスク、ホテル、モネロン宿泊 (最もボロなホテル、約3,500円)
   
10.07    朝7時ユジノサハリンスクからバスで西海岸のホルムスクに移動、11時頃フエリーターミナル
      に着いたが、フエリーの運行が未定で待つことになった。
      順調であれば通常15:00~17:00ころ出航するのであるが、この日出航時間が決まったのは午後の8時 過、当初23:00出航と発表になったが、さらに遅れ翌火:00になってやっと乗船できた。

中央アジア地図-1


工事中
、 

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Blogの更新を始めます。

長い間、体調不良でBlogの更新を休んでいました。

昨年12月24日に旅から帰り、正月を挟み撮りためた写真の整理にかかっていましたが、2月頃より精神的な意慾が減退しだし3月にはいってからは、何もかも面倒で、寝たり起きたり、ただただ引きこもり状態で半年も過ぎてしまいました。

6月に入り北国北海道も初夏の季節になり、気分も幾分良くなり、1週間ほど前から未整理だった写真の整理を始め、本日終えました。
今日からまだ萎えている意慾を震えたたせBlogの更新を始めることにしました。

以前あげていた写真は、旅行の途中で写真をあげることで精一杯、説明文もほとんど不完全な物です。以前の物にも説明文を入れてもう少し分かりやすくしていきたいと思っています。

実は旅も終わり近づいた12月12日頃。バスでアルメニヤのトビリシからトルコのイスタンブールまで35時間かけて移動中バスの中で眠りこけて居る間にカメラを持って行かれました。盗られたカメラは一眼レフでしたがもう7年以上使っていてそろそろ買い換えようかなと、思っていた物であきらめはつきましたが、カフカスを移動中に写した写真が6~700枚入っていてこれが残念でした。カメラは2台持っていて、コンデジの方は無事でしたので、その分写真が幾分ありましたので我慢することにしました。

そんなわけでカフカスの3国の写真は多くありません、心に残る景色が多くあったのですが、心の中に残っていた記憶は少しづつ薄れかけています。この年では再びかの国を訪れるのは無理です。重ね重ね残念でした。

旅行記のNo3とNo4の写真を追加して増やしました。また写真の説明を入れてあります。再度ご笑覧を

IMG_5667.jpg

この写真は幾分体調か良い時を見計らって近くの山に車でで出かけた5月中旬の物です。田んぼに水が入り、湖の中に農家の建物が浮かんでいるように見えていまし。

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