HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


In 11 2010

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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO4

11月24日、ウズベキスタンのタシケント滞在中です。今夜現地時間200:05分、タシケント駅からブハラに向かって移動します。25朝トルクメニスタンを陸路国境を徒歩で越え、入国予定です。

トルクメニスタンはインターネットは論外、以後スピードを上げてイスタンブールまで移動するつもりですので、Blogに記事を書いている暇はないものと、覚悟しています。

写真のうち整理のついているものを出来るだけ上げておきます。文章、写真説明は余裕が出来てからとさせていただきます。

キルギスタン 首都ビシュケク市

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キルギスタンの首都ビシュケク。泊まったゲストハウスの近くのモスクのミナレット、1日5回この塔の上から
アザーンが流れる。今回の旅はイスラム圏を通過した来たがアザーンを聞いたのはここキルギスとトルコだけだった。

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ビシュケクで泊まっていたゲストハウス、さくらゲストハウス。オーナーが日本人で中央アジアを通過する日本人バックパッカーの吹きだまり箇所。あまりにも居心地が良いので沈没してここから出てけなくな恐れあり。

キルギス22

入り口の鍵が3ケ所も有る。何処の家でも高い塀を引き回し、鋼鉄製のドアがついている、1階部分、中には2階部分の窓には必ず鉄格子がはめられている。

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この日、日曜日だったせいか町の広場で何組もの結婚式が行われていた。旧ソ連圏の国々では結婚登録所で登録を終わった後、戦没者慰霊所で花輪を捧げる各くまちまちの戦没者慰霊所では永遠の火が燃えている。

キルギス7


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アラ.トー広場有る国立歴史博物館
現地の大学に通う大学生の案内で2時間ほど見学した、

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バンフィロフ公園。

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アラ.ト広場にある国旗掲揚塔の下で近衛兵が直立不動の姿勢を保ち護衛していた。

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2010.04の政変暴動で焼き討ちに遭った建物、そのまま残されていた。大統領府の左前にある.


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ウイグルから中央アジア各国で有名なラグメン(またはラグマン)。中国のウイグルから西のウズベク移動するにしたがって味が変わってくる。私にとっては中国のウイグルが一番おいしかった。
麺はゆでた後冷水で締めていない。ゆであがった麺に羊肉と野菜を炒めた物をかけてある。

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大統領府、2010.04の政変では此処の前の広場を中心として衝突が起きた。大統領の護衛兵がこの建物の屋上からデモ隊を狙撃し多数の死者がでた。

キルギス16

キルギス国立大学

キルギス21

ビシュケクの街中から南の郊外に真っ白く雪をかぶった山々が見えていた。アラ.トー山脈である。

キルギス23

ビシュケク駅。日に数本しか走っていない。駅舎内も閑散としていた。ソ連が解体して残された鉄道は途中
に他国をまたいで走らなければならい箇所が沢山でき、運行に支障がでるようになり鉄道は衰退している。


正式国名キリギス共和国。 キルギスタンとも呼ばれることがある。現地の発音ではクルグスタンに近い。
国土は19.8万平方キロ(日本の半分程度)、人工540万、主都ビシュケク90万。

10月29日、カザフスタンのアルマトゥイからマルシュルートカ(乗り合いミニバス)で陸路国境をこえビシュケクに入った。
カザフから出国のさい、カザフのイミグレーションで問題発生。カザフスタンに5日以上滞在した場合、滞在登録が必要だったが、不必要と思い込んで滞在登録をしていなかった、出国手続きを拒否されたが何とか今回だけは勘弁してもらい出国できた。

キルギスのビシュケクではタジキスタンのビザ申請のため4日以上とどまることにして、結果1週間とどまってしまった。ゲストハウスの居心地が良く出国する気にならなったらからだ。ちなみにここキルギスは日本人はビザがいらない。

キルギスでは4月の暴動から政変がありまだ火がくすぶり続けており、夜半はあまり出歩かずに、ゲストハウスでウオッカを飲んでいた。私が出国した2日後にビシュケク市内で時限爆弾が破裂したとのニュースを隣の国のタジキスタンで聞いた。

町は小さく田舎くさい、道を歩く人々もキルギス語を話す人が多いい。でもロシア語は問題なく通じる。

11月6日キルギスタンからタジキスタンへ飛行機で移動した。当初今度の旅は全コース陸路移動の予定であったがキルギスからタジクへの移動情報を収集すると陸路の移動は危険なことがわかった。

1.国境を越えるための公的交通機関がない。
2.途中南部のオシュで一泊が必要、この地域先の暴動から完全に正常化されていない。
3.途中2~3.000mクラスの峠越えをしなければならないが11月に入り峠が雪で塞がっている可能性が有る。
4.公的交通機関がないのでタクシーかトラックのヒッチハイクが必要、高額のお金を要求される可能性大。
5.この峠のあたりはアルカイダの勢力が強く、またアフガンからの麻薬搬出ルートと重なる。
と言うわけで小心者の私は怖じ気づいて飛行機移動に逃げ込んだ。

6日早朝前日の夜に頼んでおいたタクシーが迎えに来て、町から35Km離れたマナス空港に向かった。空港にはアメリカ空軍の軍用大型輸送機6機がひっそりと駐機していた。アフガニスタン、イラクへの前線基地になっているのだ。

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Category: カザフスタン旅行   Tags: ---

『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記No3

21日、ウズベキスタンのフエルガナ市でホームスティーをしています。明日22日再び首都のタシケン
トに戻り、トルクメニスタンのビザ交付最終手続きに入る予定です。

ここフエルガナ地方は日本の四国くらいの面積に多くの人が住んでおり人口密度はほぼ日本と同じくらいとの事、文化的にも保守色が強く、人々の生活にも昔の文化が多く残っていて、バザールの喧騒な中に身を置いてアラビアンナイトの世界を楽しんでいます。冬が近づいてきて朝夕霧が町々を包み込み、そんな霧の中から車が100kmものスピードで飛び出してきて、ひゃっとさせられます。

この週ほとんどネットが使える状況になく、写真も大分溜まってきていますがBlogの更新が出来ませんでした。今日街を歩いていたらネットカフェを見つけ、そこからネットに繋いでいます。大きなネットカフェでも誰もPCを使ってません。周りの皆が不思議そうな顔をして私を見ています。まだまだインターネットは此処では珍しいようです。

写真を楽しみにしている方が多いようなので、とりあえず写真だけでもアップいたします、都合がつき次第文書と写真説明文を順次上げていきます。ご勘弁を

カザフスタンと元の首都アルマトゥィの写真

カザフ23

カザフスタンにはロシアのノボシビルスクから列車で入りました。国境を越えて初めての大きな町に停車しました。セイメイの駅舎です。セイメイは旧ソ連時代セミパラチンスクと呼ばれていて核実験場が有ったことで有名なところです。このことを知っている人々はここに近づくのをいやがります。

カザフ24

列車がカザフスタンに入るとホームの出店が増えてきました。羊の肉を焼いている物もありもうもうと煙を立てています。

カザフ25

カザフスタンに入って列車が停車したときにホームにでて写真を撮っていると駅員に叱られました。駅での写真撮影は厳禁とのこと、ロシアでは自由に写真を撮らせてくれたのに、抗議をしましたがニェット(NO)だけでした。
しかなく車内らこっそりと撮ることにしました。ホームの向こうにある白い建物はキオスクです。
キオスクという言葉はトルコ語からロシア語に入り日本語に入ってきたと言われています。

カザフ26

女性が持っている魚は川魚の燻製です。とても一人では食べきれないので買うのをやめました。

カザフ30

アルマトゥィ市の西にあるサイラン.バスターミナル(バスターミナルをロシア語ではアフト、バクザールという)ここの二階に安いドミがあるとのことで行ってみたが、夜7時から朝9時までとのこと、その時間帯で一泊500円位で泊まれるが場所も街中から離れているし不便なのでやめて、市中心部に移動した。
写真の車はマルシュルートカ。

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ここはイスラム圏ですが、以前ソ連時代を経験、人々の間にはイスラムの陰は薄れていました。
この写真はイスラムの教会、モスクを改築しているところです。

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街中のバザール行ってみました。羊の頭が売られてました。どうも苦手、おいしいそうですが、勘弁してもらいました。

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ここアルマトゥイはリンゴで有名なところ、市場での果物類の品揃えは良い。しかしリンゴも梨も、柿も小さく堅い、また甘みは日本の果物と比較して劣る、以後歩いた国々でも同じ、日本の果物が特別なのだ。
ただ、ぶどうとメロンはとてもおいしくみずみずしかった。

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28人のバンフィロフ戦士の公園で、新婚カップルが無名戦士の墓に次から次へとお参り来ていた。

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28人のバンフィロフ戦士の公園の中央に建つゼンコフ正教教会。1904年に建てられた木造建築の協会。

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ゼンコフ正教教会

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晩秋の28人のバンフィロフ戦士の公園

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晩秋の28人のバンフィロフ戦士の公園

カザフ9

晩秋の28人のバンフィロフ戦士の公園、前夜ちらついた雪が残り大変美しい。


カザフ1

市中央部のシベック、ジョル大道通りの歩行者天国。雨で人通りが少ない。

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歩行者天国の通りで民族楽器をつま弾きながら古い民謡をうたっていたおじさん。

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ゼンコフ正教教会前広場で鳩と戯れる子供たち

カザフ13

ゼンコフ正教教会前広場で鳩と戯れる子供たち

カザフ16

ゼンコフ正教教会前広場で鳩と戯れる子供たち

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カザク民族楽器博物館。28人のバンフィロフ戦士の公園東端にある。木造建築建物。

カザフ29

これはアルマトゥィⅡ駅、市の中心部にある。アルマトゥィⅠ駅は市郊外にある。
ロシアのノボシビルスクからカザフスタンに列車で入り、3日目の朝予定より30分も早く乗客が下車の準備を始めた、中にはゆっくりしている人も居る? 隣の人に聞いてみるともうすぐアルマトゥだと言う。列車が着くと一斉に乗客は降りだした。うん?。でも座っている人も居る、へんだな~。再度確かめるもアルマトゥィだと言う、確か終点のはずなのに??。仕方なく降りた。駅前でタクシーを捕まえ今夜泊まる予定をしていたバスターミナルの宿まで頼むと10Kmも有るとのことだった。

後日わかったことでは、アルマトゥィの主要な駅であるアルマトゥシⅠ駅は郊外にあり、ここから市の中央部のアルマトゥィⅡ駅まで支線が伸びていて国際列車はこのⅡ駅までそのまま乗り継ぐことができたのであった。きたばかりで知らないままに一つ手前の駅で降りてしまったようだ。

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街中にあった美しい建物、壁に中世のここの民族衣装を着飾った人々が書かれている。

カザフ21

此処にも有った、なんと直接的表現か?このドア開けて中に入るだけで100テンゲと書かれている、日本円で50円位の物か。

カザフ22

アルマトゥィから次の訪問国キルギスのビシュケクにマルシルートカで移動した。白いマイクロバスがマルシュルートカである。前の建物はドライブイン。


正式国名カザフスタン共和国。
面積 272万平方キロ(世界第9位) 人口1,564万 首都アスタナ、人口64万(今回は行かなかった)今回は以前の首都アルマトゥィ(ソ連時代アルマ、アタと呼ばれていた)行ったのみ、人口136万

10月18日夜中ロシアのノボシビルスクを出た列車は国境に着いた。両国の入出手続きは係官が列車に乗り込んできて車内で済ませることができた。
19日朝アマルマトゥィ駅に着く、2泊3日の列車の旅だった。事情がよくわからずに終点1ツ手前の駅で降りてしまった。この日朝からおなかが痛い、痛いおなかを欺しだまし、タクシーで40分かけて西に有るバスターミナルに向かった。ターミナルの公衆トイレに駆け込んだ。ワー、此処は『ニーハオトイレ』の世界。ドアはない、私がしゃがんでいるすぐ前に髭面の親父がこちらを向いて立っている。こちらも負けずに睨み付けて力んでいた。この日から4日間下痢で苦しめられた。

ホテルは町の中心部にある中級ホテルの最安の部屋を取った。次の日20日にウズベキスタンの領事館へ出向きビザの申請の手付きをして来た。この日領事館の帰り頃からまたおなかが痛くなり、以後3日間ホテルから外出せず寝ていた。

ここアルマトゥィでは当初からウズベクのビザを取るために幾分長期の滞在を覚悟していたが結果ウズベクが6日間もかかってしまった。
外国での領事館通いは初めて、最初まごついたが、以後慣れて順調に申請が出来るようになった。この間下痢も治まり毎日街中を歩き回った。

アルマトゥィは結構大きな街で、街中の商店も垢抜けした物も多い。人々もロシア語を話している人も半数近くか、スーパーの品揃えも日本とほとんど変わらない。

10.28翌日のキルギスへの移動に備えバスターミナル二階のゲストハウスに宿泊を移動した。10.29朝マルシュルートカでキルギスタンへ出発した。











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