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北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


"ポーランド(2012ユーラシア大陸横断の旅)" posts

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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ポーランド、アウシュビッツ編

2012年09月15日、クラコフ滞在2日目、バスセンターに出かけアウシュビッツ行きのバスに乗った。1時間半程度でオシフィエンチム市に到着。アウシュビッツ強制収容所はこの市の郊外にあった。

アウシュビッツ強制収容所 Wikipediaより。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(独: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、波: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)は、ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所である。

アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。公式な分類ではないが、日本ではいわゆる「負の世界遺産」に分類されることがしばしばである[1]。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。


一日この世界遺産を見て回ったが、クラコフに帰り着いても一日胸がむかむかして気分が悪かった。人間は本当にこのように狂い得るのか?
2009年にウズベキスタンのサマルガドを訪れた、この古都の郊外に13世紀にジンギスハーンの軍隊に破壊尽くされた旧都の跡があった、約30万の住民を殺戮し尽くし街を破壊し尽くした跡は小高い丘として残って居た、この時も人間の狂気の業に只呆然として、言葉も出なかった。このボーランドの地でも同じ思いに至った。

建物内には遺品が沢山陳列されていたが、胸が悪くなり写真を撮る気にはならなかった。もう二度とこの地には来たくない。

ほとんど写真の説明を入れません。思い出しても気持ちが暗くなる。

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管理事務所の入り口、ここでチケットを買い、ガイド(1説明員が20名程度受け持つ、説明言語別に班分けされる)に付いて見て回る。この日ロシア語のガイドは昼からだったので、英語のガイドについて回った。カイドの胸元にマイクが有り、各人はイャホーンを掛けて説明を聞く。

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この小さい穴は防空壕、

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死の門。

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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ポーランド、クラコフ編

2012年の長かった旅から帰った後、鬱状態に落ち込みBlogの更新を中止していました。1年も過ぎようとしていますがやっと少し気力が戻りかけ、1週間ほど前から膨大な写真を手を入れ、UPする写真を選択し終えました。

実は、ロシアのサンクトペテルブルグからフインランドに入り、その後バルト3国を通過ポーランドのワルシャワに入りましたがこの間に撮った写真のSDカードが帰宅後何処にしまい込んだか、出て来ません。従ってこの間の写真は後日SDカードが出て来たときにUPすることし、ポーランドのクラコフ滞在からBlogを再開したいと思って居ます。たいへん無様な状態ですが、ご了承くださいませ、ませ。

ポーランド クラコフ (Poland krakow)

地図1

2012年09月15日17時頃、ワルシャワからクラコフに列車で入りました。バルト3国はほとんど鉄道が動いていない状況で、バスでの移動が通常になっていました、ワルシャワに入ってやっと鉄道が当たり前に走っている国に入った状況で、久しぶりの列車移動でした。

この街はポーランド第二の古都で16世紀までポーランドの首都でした、今は人口約75万程度の歴史有る都市です。
この街に降り立ったのは同行のAさんが是非アウシュビッツに行きたいと申し出があったからでした。
アウシュビッツにはこのクラコフを拠点に見学バスが頻繁に出て居ます、1時間半程度で行く事ができました。

ポーランドに入りYHの予約は同行のAさんに任せることにしました。フインランドを除きカザフスタンからエストニアまでロシア語圏だったので、私が予約を担当していました。ポーランドに入り一般的にはロシア語が通じなくなったので任せることにしたのです。

泊まったところはBenedect Hostel、予約をネットで入れて貰ったがクラコフに夜到着してYHを探すのは結局私の役目になった。1泊837円、9ベットのドミ、ミックス、最安値。3階のYHに入るとお客様でうなっていた。ビックリしたのは3段ベット、私は最上階、毎夜あがったり降りたり。3段ベットは初めて、これ以後にも無かった。

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クラコフ駅のホーム

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この広場は観光客でいつも賑わっている。

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聖マリア教会。

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中央広場のオープンカフェで食べたサラダとビール、普段はスパーマーケットに行きハン、牛乳、チーズ、ハムなどを買い込んできてYHの台所で皿に盛りつけして食事をする。昼は街中でサラダ(やさい不足になりやすいので)とビール、またはコーヒーとなる


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旧織物取引所と中央広場。写真向こうのアーケード状の建物が織物取引所だったところ。今は中にはお土産店が入って居て観光客でごった返している。この建物の前の中央広場では毎日の様にオープンカフェに出かけていきビールを呑んでいた。

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中央広場で花嫁と花婿のカップルが居た、この骸骨の老婆はどんな意味があるのか判らなかった。

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ここの広場にはいろいろものが売られていた。

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クラコフ3泊ご列車でウクライナの首都、キエフに移動した。現地時間18日午後6時ころウクライナとの国境に着く、ここで列車の台車交換が始まった。ポーランドの鉄道は標準軌1,435mm。一方ウクライナは旧ソ連圏の1,524mmの広軌、1時間以上掛けてジャッキで列車を持ち上げ、人力で車輪を押し出して、広軌の車輪を列車の下に押し入れ、車輪を交換する。2輌づつ交換していった。この間列車内には出入国管理官と税関職員が乗り込んできて手続きをしていった、日本人2人とみると簡単に手続きをする。この時4人用のワゴンだったが同行のAさんと2人だけだった。

ポーランドはEU加入国、さらにジンゲン条約加入国、シンゲン条約加入国同士では出入国の管理はおこなわれない。フインラントからバルト3国そしてポーランドまでは国内旅行と同じように国境を越えてきた当然パスポートにもスタンプが無い。ここでシンゲン条約地域から出たので久しぶりに国境越の手続きがあった。







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