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北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


"沿ドニエストル(2012ユーラシア大陸横断の旅)" posts

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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、沿ドニエストル共和国編

10月23日、午前10時現在外気温+13度、曇り。

昨夜はベットに入ってから本を読み出して気がついたら朝の2時になっていて、急いで寝たが7時半には目が覚めてしまって未だどうもスッキリしない、寝不足だ。

沿ドニエストル (Pridnestrovian Moldavian Republic)

モルドハ、キシナウ滞在中の27日、自称沿ドニエストル共和国の首都と言われてるティラスポリまでマルシュルートカで日帰りして来た。

モルドバ地図2

このBlogを見た人で、沿トニエストルと言う国を知っている人はほとんど居ないものと思います。私の今度の旅ではこの沿ドニエストル潜入が第二の目標でした(第一はもちろんロカ岬到達)。奇人変人の私はこのような怪しげな地を訪れる事に非常に興味が有ります。これからも機会があったらもっと行きたいと思って居ます。

沿ドニエストルとはどんな国か

沿ドニエストルはモルドバ共和国の東を流れるドニエストル川の東側にあり、南北約200Km、東西広いところで20Km、狭いところで4Kmしかない国である。人口は62万、首都ティラスポリの人口は約15万である。

ソ連邦が崩壊する少し前からこの地域の住民の中からモルドバ社会主義共和国から独立運動が始まっていたがソ連政府から独立を認められなかった。

1991年にモルドバ共和国が独立を宣言モルドバ人の間ではルーマニア民族主義が台頭、新生モルドバの国旗はほとんどルーマニア国旗ど同じ、公用語となったモルドバ語(ルーマニア語)は従来のキリル文字からラテン文字に変わり、ルーマニアに併合して貰おうとする主張も現れだした。

一方ドニエストルの東側は歴史的にもルーマニア領だったこともなく、モルドバがルーマニア領だったときもソ連領だった。ここに住むロシア人がモルドバ政府のルーマニア化に猛反発、1991年11月5日、この地域のロシア人が中心となり沿ドニエストル共和国の独立を宣言、これを認めないモルドバ政府軍との間で戦闘となる。

このドニエストル川の東側に駐屯していたロシア軍が独立派側を支援、半年にわたる戦闘で独立派側が勝利。1992年7月モルドバと沿トニエストルとの間で停戦が成立した。

しかしこの戦闘で味方となって戦ったロシアさえも独立は承認せず、国連加入国で独立を承認した国はない。(この国の事情とにたグルジアのアブハジア、アゼルバイジャンのナゴルノカラバフだけが独立を承認している)。

現在は沿ドニエストル共和国政府がこの地方を実効支配している。この地域はモルドバの中でも工業が発達しており、電力の90%がここで発電されており、モルドバよりずっと豊かな地域である。

DSCN8939-1.jpg

朝10時ころ、バスセンターに行ってテラスポリ行きのマルシュルートカで出発した。1時間半ほどは達って停戦ラインに着いた、このラインを挟んで両軍の監視所がある、モルドバ側ではパスポートや身分証明書を集めていき監視所でチェックしたようだ。もちろん出国スタンプなど無い。モルドバ側では独立を認めていないのだから、自国内の通過に過ぎない。

沿ドニエストル側に入ると入国管理所(イミグレーション)があり、入国審査があった。此処は悪名が高いイミグレで賄賂要求があると聞かされていた。管理官がマルシュルートカに入ってきて乗客のポスポート(旧ソ連圏では国内だけで通用するパスポートを国民全員が持って居る)を集めていき、入国スタンプを押して車まで持ってきて返しだした。

私のパスポートは返してくれない、そのうちに係官がやって来て私だけを呼び出して出入国管理所まで出頭するように告げられた。来たー、賄賂要求かと覚悟して事務所に出頭。先客が居た、教会関係者の様な老夫妻。聞いて居るとロシア語で金銭でもめているようだ、たぶん賄賂の要求の様だ、いよいよと覚悟した。

私の番なると日本人か、ロシア語は判るかと聞く、珍しいという。仕事か観光かと聞く、今日は何処に泊まるのかと聞かれたので夕方までにはキシナウに帰ると言ったらパスポートにスタンプを押して、車に戻って良いとつげられた。拍子抜けだった。夕方帰るときも出国スタンプを押して停戦ラインを越えてきた。モルドバ側はパスポートを見るだけ。

他の国から沿ドニエストルを経由してモルドバに入国する場合の問題点。

ウクライナ→沿ドニエストル→モルドバ、この様に移動した場合。まずウクライナで出国処理がおこなわれ出国スタンプが押される。沿ドニエストルに入ると入国スタンプが押される。モルドバとの停戦ラインは沿ドニエストルに撮っては国境、もちろんイミグレもあり出国スタンプが押される。停戦ラインを越えてモルドバ側にはいる。
モルドハにとっては沿ドニエストルという国はない、従ってここは国境でもない、イミグレはもちろん無い、自国領内の単なる移動だ、従って入国スタンプなどもちろん押さない。

問題はモルドバを出国するときに発生する。出入国管理官はパスポートをみてモルドバに入国したスタンプが無いので不法入国と見なす。別室に呼ばれて取り調べとなる。私はこれが判っていたのでウクライナからの入国時この国を通らないルートを選んだのである。

一旦法にもとづいて入国した後は沿ドニエストルに行って帰って来ても、モルドバとしては国内移動なので何ら問題とならない。

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このマルシュルートカで往復した。車の窓の表示はロシアごでテラスポリと書いてある

DSCN8945-1.jpg

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テラスポリ駅前広場、キシナウからのマルシュルートカは此処が終点いで帰りも此処から乗り込む。

DSCN8950-1.jpg

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通りの標識、キシナウへ76Km オデッサへ102Kmと書いてある

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スーパーマーケット。

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中ほどの赤い文字は『テラスポリは沿ドニエストルの首都だ』と書いてある。

DSCN8975-1.jpg

この国はロシア人の国というよりは、ソ連への回帰で作られたような国だった。『幻のソ連が生き続けている国』とまで言われて居る国だ。国旗にも国章にも釜とハンマー。街に流れている音楽も1970年代にソ連の街中で流れていた国威発揚調の音楽だった。

只通貨も自国独自の通貨を発行し、スーパーもモルドバより品揃えが良かった。街中の文字もモルドバと違ってキリル文字のロシア語一色だ、人々もロシア語を話している。

でも、沿ドニエストルの民族比はモルドバ人40% ウクライナ人25%ロシア人23%ダそうだ。



DSCN8964-1.jpg

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街中を歩いて居たらこんなポスターがあった9月29日にばんざい日本パーテーという物があったようだ。

DSCN89571.jpg






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