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北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


"ルーマニア(2012ユーラシア大陸横断の旅)" posts

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Category: ルーマニア(2012ユーラシア大陸横断の旅)   Tags: ---

『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ルーマニア、ブカレスト編

11月09日、昨日から今日は霙または雪になるかもと天気予報が出ていたが穏やかな1日になった、曇りではあるが時々晴れ間も覗く。

山の初冠雪は例年よりも10日も早かったが、平地の初雪はまだ、例年10月下旬か遅くとも11月の初めには雪が訪れて居るのに今年はまだである。

ルーマニア、ブカレスト(ROMANIA Bucuresti)

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2012.10.08.11:25分にシギショアラを出て午後4時過ぎにブカレストに到着する予定であったが、隣国ハンガリーりのブタペストを発車した列車は80分も遅れてシギショアラに到着、おかげでブカレスト到着は午後6時近くになってしまった。駅構内で昼食とも夕食とも付かない食事を終え駅を出るともう暗くなっていた。

ここブカレスト、ノルド駅は悪名が高い。駅付近ではスリや強盗事件が頻発、警官も腐っている。警官もジーパンにTシャツ、その上にチョッキを羽織っている。チョッキの背中にPORISの表示、腰にはピストル、誰が警官なのか偽警官なのか判らない状態。

薄暗くなった駅前をリュックを背負った年寄りがほっつき歩くのは危険と、ひさしぶりにタクシーに乗ることにした。値段交渉に入ると、『メーターだ』と、とりつく暇も無い。暗い街中を約40分も走ってやっと予約を入れておいたYHに着いた。日本円で1,200円の請求、べらぼうめー。文句を付けたがメーターがそう表示している。

翌日YHをでて街中を散歩していると600mも離れずに駅があった。やられたー。

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ノルド駅で昼食兼夕食を食べた。

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ブカレスト、ノルド駅は巨大な駅だった。コンコースから出口に続く通路。

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駅の出口を出ると地下鉄駅に降りる階段があった。駅前の風景。

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ブカレストで泊まったユースホステルの入り口。
Green Frag Hostel 3泊、8ベット、ミックス、ドミ。1泊30ルーマニア、レイ(RON) 日本円で1.300円

右手の階段を上がりドアをおして中に入る、玄関ホールには大型冷蔵庫がありジュースやビールが冷えている。
また階段の下にはテーブルと椅子があり脇に灰皿が有り、町歩きに疲れて帰って来たら此処でビールを飲んでタバコをすっていた、いつも猫が2.3匹うろちょろしていて、私が椅子に座ると膝に飛び上がって乗ってくる。猫好きが判るようだ、これだから街から帰るときに猫の餌を買って帰らなければならない。

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国民の館前の統一大通。

ルーマニアの首都ブカレスト(ルーマニア語での発音ブクレシュテイ)。カルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東に位置している。人口194万人。

20世紀初めには、「バルカンの小バリ」と称されるほど美しい街並を誇っていたが、いまはその面影は旧市街のごく一部と凱旋門に続く通り沿いのみ。
古い教会や歴史的建築物は独裁を続けてきた共産党の手によってことごとく破壊されている。通りを歩いていると巨大な建築群がやたらに目にとまる、その最たる物は故チャウシェスク大統領の野望を有形化した旧共産党本部や国民の館だった。

統一大通り。国民の館を起点として約4Kmにわたりブカレストの町を走り抜ける大通り。統一広場でブラチアス通りと交差している。メガロマニアと呼ばれたチャウシェスクはバリのシャンゼリゼ通りと寸分違わない幅、長さを実現しょうとしたが、現実には幅が6mひろくなっていた。

統一大通りの両側には高さが同じ豪華マンションが続いて居る。当時は政府要人の住む住居街とする予定だったらしい。今は一般人が住んでいる様だ。この地域は以前ブカレストでも最も古い旧市街地だったがこの大通りを建設するために沢山の史跡や建物が取り壊され、街並が塗り替えられた。

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国民の館 (Casa Poporului)。

故チヤウシェスク大統領が、日本円にして約1500億円を投じて作らせたという巨大宮殿。部屋数は3102室、世界中のか官庁、宮殿などの建物ま中で、アメリカのペンタゴンに継ぐ規模と言われて居る。宮殿内部は、天井、壁、窓枠に至るまでふんだんに純金が使われている。正に贅の限りを尽くして作られたため、国民は飢餓を強いられた。

現在は各政党のオフィスが入居する外か、国際会議やコンサートに使われている。

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国民の館、中央入口階段。

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旧市街の街並。

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このような古い建物は数は少ないが旧市街地にいくらかのこっていた。

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この街にも例のショップがあった。

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町角にあるATM、とこの国でも町角の外壁にATMがあり、日本のように銀行の建物の中に入らなくとも良い、また24時間稼働している物がほとんどだ。非常に便利だが、現金を引き出す場合はあたりを見渡して近くに人が居ない時を目がけて素早く操作をしなければ危険。

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ブカレスト地下鉄のホーム。

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10月11日、ブカレスト、ノルド駅からブルガリアのソフィアまで移動となった。10月11日23:15発、ソフィア着10月12日09:25着の寝台列車である。


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一人旅ではチョットでも荷物から目を離すと置き引きに遭う。ベンチに座って列車を待つ間はこの様に荷物を鎖でベンチに固定することが必要である。

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国際列車の乗車券。下は普通乗車券でブカレストからブルガリアのソフィアまでの乗車券、上は寝台券(座席指定を含む)。
ヨーロッパの鉄道切符は様々で、このように乗車券と指定券または寝台車券が別になっているものもあり、また1枚のキップに全部が含まれている物もある(包括乗車券)。

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ヨーロッパの列車はまだ電気機関車が牽引する列車が残って居る。列車はワゴン(個室)なっている物が多い。中国や旧ソ連圏の列車は廊下と個室を隔てるドアや壁は木製で、廊下から室内は見えない。一方このルーマニアあたりから西へ行くと廊下と個室の壁やドアはガラスになっていて、廊下から室内が見える。室内は3席向き合いで6席が多く、中には2×2で、4席の物もある(2等車の場合)、1等車は乗っていないので判らない。高速列車はほとんどが日本と同じオーブン席である。

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07
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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ルーマニア、シギショアラ編

11月07日。19時、雨が降り出してきている、遠くから雷鳴が聞こえだした。天気予報ではこの雨は明日にでも霙または雪に変わるかもと報じている、でも現在は外気温+10度、寒冷前線が雷鳴をとどろかせている、前線が通過後温度が急激に下がりそうだ。

今日も日中昼寝をしたがまだ完全には時差ボケから脱出出来ていない。目がしょぼつき頭が重い。でも気力の喪失感は無い、肉体的な影響のみだ。

ルーマニア、シギショアラ (ROMANIA Sighisoara)

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2012、10、05日朝早くブラショフのYHをチェックアウトし、08:40の列車でシギショアラに向かった。ブラショフから120Km、約2時間半の鉄道の旅だ。11:40にシギショアラ着。

シギショアラではYH、Nathanss Villa Sighisoaraに3泊した。1泊11ユーロ(1,045円)。

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シギショアラ駅。

シギショアラはルーマニア、トランシルヴァニアの中心に位置する街だ。現在も中世の面影を色濃く残した街並、観光化されていない鄙びた静かな街だった。

この町の歴史は1191年ハンガリーのクラウス王の命令でザクセン人が入植したことに始まる。ドイツ名をシェースブルグ(SchaBburg)といい、15~16世紀の繁栄の絶頂期には15のギルドをもつ城塞都市であった。街のシンボルでもある時計台は14世紀の物だ。現在の人口はおよそ3万人である。

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駅から街の中心部は少し離れていて、特に旧市街の中心は山の上にある時計塔を中心としたあたりにある。
この川の橋を渡って左側を進んでいき山に上がる坂道を進んで旧市街の中心部に出る。

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川のほとりにある正教会(Biserica Ortodoxa Romana)の教会。

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山の下から旧市街を望む。

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街中の家々にはガスメーターが設置しれていた。以前アマチュア無線に夢中になっていたとき、ヨーロッパの無線局から家々の暖房は石油からガスに切り替わってきたと聞いて居た。ロシアからのガスパイプラインの設置がすすみガスが普及していることがよくわかる。

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地元の女子高生と思われる一団が先生に引率されて山道を上がってきた。賑やかなこと。

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山に上がる道は石畳が続いていた。

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この建物が時計塔である。

14世紀に、シギシヨアラが商工ギルドによる自治都市となったのを記念して建てられた街のシンボルである。1670年に焼失、その後再建された物である。この塔の下には小さいながら広場になっており、取り囲む建物の前にはオープンカフェが出て居た。

この広場の一角に『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとなった、串刺し公、ブラド3世の生家があった。先に訪ねたブラショフ近郊のブラン城は彼が後に住んでいたところで、゛生家はここシギショアラにある。

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旧市街地には中世ドイツ風の建物が続いていた。

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時計塔が有る山の上から下の旧市街地を望む。

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旧市街地の道路沿いの家々には花が飾られていて美しい。観光客も思ったより少なく、時間も静かに流れていた。
この度の旅で最も思い出に残った街の一つであった。

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ポーランドの郵便ポスト。

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シギショアラ駅の入り口。

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シギショアラには10月5日から3泊し10月8日ブカレストに列車で移動した。シギショアラの駅のプラットホーム。この列車はハンガリーのブタペストから走ってくる、80分も遅れて入線して来た。この程度の遅れはしばしば有るとのこと。お客さんも騒がずに待っていた。


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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ルーマニア。ブラショフ編

11月06日、イランツアーから何とか自宅に帰り着いた、自宅を出てから帰宅まで12日間、相対的な感想は只『疲れた』だった。自分の様な自由な放浪の旅を続けて居る者にとって、朝から晩までスケジュールがびっしり詰まったツアーは体にきつい、このところ体力も落ちており、もうツアーは無理と悟った。

沢山撮ってきた写真を見てBlog仁上げる物を選んでいる、ブログで公表するまで数日かかるだろう。イランに行くと言ったら危険では無いかと誰もが言う。多くの日本人が誤解をしている。イランは現在は安定していて平和な国だ。対米関係が悪かったので日本にはアメリカからの一方的情報しか入ったこないので誤解をしているのだろう。

今回イランを訪れて疲れたけれども、出発前より帰国時にいっそう好印象を持って帰り着いたことがうれしい。

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ルーマニア ブラショフ (ROMANIA Brasov)

ルーマニア地図2

切符1

ルーマニアの鉄道切符、ヨーロッパではは同じ様式のキップが多いいが、この国だけは特別の様式だった


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ルーマニアのブラショフ駅

2012年09月30日、モルドバのキシナウ駅から夜行寝台列車でルーマニアに向かった。10月01日朝ブカレストに入った。このブカレストのノルド駅ですぐにブラショフ行きの切符を買い、午前中にブラショフに移動した。

ブラショフ、人口28万人。ここは中世の街並を残す古都である。12世紀にドイツ商人が建設し、ルーマニア人、ハンガリー人の3民族によって発展して来た。街を歩いているとドイツの香りが強く感ぜられた街である。

この駅近辺は新市街地で泊まったユースは旧市街地の中にあった。駅で列車を降り、駅前のバス乗り場でバスを待っていると、中年の男性が近づいてきて今夜は何処に泊まるのかと聞いてきた。私たちが予約を入れていたホステル名を言うと、なんとこの人はそのホステルのオーナーだった。今宿泊客の為の食材を買うために新市街地に出て来たという。ホステルまでの行き方を詳しく教えてくれた。ここのバス停から18番のバスに乗って終点で降りると目の前だという。無事ホステルに到着することが出来た。

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ブラショフは『吸血鬼ドラキュラ』で有名なブラン城を観光する拠点の都市だ、ここブラショフに4泊した。

Gabriel Hostel、張り込んでツインの部屋を予約、これは久しぶりにバスタブのある部屋を求めたからだった、それにキルギスから同行していたAさんとここの宿泊を最後に、ブラショフで分かれてまた単独の旅に戻ることにしていたからだった。部屋に入ってビックリ、部屋には2段ベットが2ツ有り、すなわち4人部屋に2人しか入れず、これをツインという。まあ安いので納得した、1人1泊9ユーロー(この時1ユーローは95円、すなわち1泊855円)。ここの2階部分に部屋は有った。

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聖ニコラエ教会。
写真中央の尖塔の有る建物。今回泊まったガブリエル、ホステルは旧市街地の中心から徒歩で15分程度のスケイ地区に有った。

スケイ地区とは、ブラショフがドイツ移民によって建設された当時、先住のルーマニア人達が移住を余儀なくされて移った地域で現在も残るスケイ門に寄って中心街と隔てられていた。当時、ルーマニア人は特別な許可が無ければこの門から街へ入ることが出来なかったという。ここは統一広場と称された小さな広場が有る。

YHから緩やかな石畳の下り坂を歩いてこの広場に入る。翌日、この広場のオープンカフェでコーヒーのを呑んでこの中世ドイツの面影を残す街を楽しんだ。

教会の向こうの山の上に『BRASOV』と書かれた大きな白い看板が有り、下の旧市街からケーブルカーで上がることが出来た。

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周りの建物の出窓には花が飾られており、時間が緩やかに流れていた。

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聖ニコラエ教会。

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旧市街地の中心の スファトゥルイ広場に面した建物群。

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子のに広場の周りの建物の多くはレストランになっており、建物前はオープンカフェが連なっており、観光客が群がっていた。

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スファトゥルイ広場のランドマーク、旧市庁舎。

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午後6時の鐘がなり出すとこの塔の時計の下に3人のラッパ手が出て来て一斉にラッパを吹き出した・

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広場のオープンカフェ。

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夕方になると毎日の様にここのカフェでビールを飲みながら東ヨーロッパの古都の雰囲気に浸っていた。

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夕暮れが近づきこの広場に中世のコスチォームを着た一団が入ってきた。

ブラン城1への地図

ブラショフ滞在2日目。南西約30Kmに有る『吸血鬼ドラキュラ』の居城のモデホルとなったブラン城にバスで出かけてみた。

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ブラン城はブチェジ山麓に有るブラン村の山頂ににそびえ立つ典型的な中世の城砦で有る、写真の山の上に少し見えている城が其れである。下の村は完全に観光地化されていてお土産屋が連なっていて興ざめだった。

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山の麓に会った古いドイツ風の農家の建物。

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以下、ブラン城の内部。

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ブラン城から下の村に降りて来て、ブラン村のレストランで昼食をとる。ここのオープンカフェの前にあったペンション。

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ブラン城からブラショフに帰る途中ルシュノフ要塞に立ち寄ってみた。

ブラショフからブランに向かう途中で約15Kmの地点にある小高い山の山頂にある要塞。世界遺産では無いがトセンシルバニアを代表する大要塞である。ザクセン人によって異民族の侵略に備えて作られた。15世紀には最も堅固な要塞の一つとして知られていた。

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要塞内を見回っていたらヨーロッパ中世の古武士が現れた、対戦するは日本の古武士、居合抜き3段のAさん。さて、対戦はどちらが勝利したか?

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ブラショフ滞在4日目、ブラショフの裏山にケーブルカーで上がってみた。下にはブラショフの街が広がっている。

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10月4日の夕方、またスファトゥルイ広場に出かけて、暮れなずむこのヨーロッパの古都でAさんとの別れの宴を開いた。長かった2人旅は、明日は別れの日だ。私はここブラショフからシギショアラに向け列車で移動。Aさんは私より1時間後で同じく列車でハンガリーのブタペストに向かう。最後のビールを飲み交わした。

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ブラショフからシギショアラに向かう列車は混でいたが私は座席指定でゆっくりと車窓の景色を楽しむ事が出来た。








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