HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


"イタリア(2012ユーラシア大陸横断の旅)" posts

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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、イタリア、ミラノ編

11月16日、昼前は霧がかかって見とおしが悪い。昼から晴れ間も出て来た。外はまだ白一色。大分溶けては来たがまだ雪が一面に残っている。

イタリア、ミラノ (ITALY Milano)

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2012.11.3午後ミラノ、セントラル駅にイタリア鉄道(トレニタリアTrenitalia)が誇るエウロスター.アルタヴェチタ (AV-fast)がローマ、テルミニ駅から到着した。

予約を入れてあるYHは、ここで地下鉄の3番ラインに乗り換えAfforifn地下鉄駅までで行かなければならない。駅のキオスクで市内地図を買って地下鉄路線を頭にたたき込む。

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此処が泊まったユースホステルの入り口、塀に囲まれた広大な敷地の中の林に囲まれた中にあった。

Ostell Olinda 11月3.4.5日、3泊、Basic 4Bed Mixed Dorm 1泊21€ ¥1,995

部屋は広く4Bedとなっているが2段ベットが10ケも並んでいる。たぶんこの部屋には最大4人しか入れないと言うことだろう、同室者はイランから来たという陰鬱な青年のみ、ほとんど1日部屋に留まっている。台所は広く設備がそろっている。有料だったが洗濯機や、乾燥機も使える。まあ、街の中心部に出かけるには地下鉄で行かなければならずちょっと不便だったが、静かな環境で気に入った。


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YHの玄関を出ると、このような林が広がっている。下の写真もその林。ヨーロッパにも秋がやって来ていた。

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次の日から毎日地下鉄で街の中心部に出かけ、歩き回った。街は石畳の道が多く、ヨーロッパ中世の面影が色濃く残って居る。

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トラムの色も街並に溶け込んでいる。この色合いの良さはさすがイタリアと思った。

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ミラノを代表するドゥオーモ

Wikipediaより。

ミラノのドゥオーモ (イタリア語:Duomo di Milano、ドゥオーモ・ディ・ミラーノ) は、ロンバルディア州都ミラノの象徴である。都市の中心の同名のドゥオーモ広場に位置し、聖母マリアに献納されているドゥオーモである。 ミラノのドゥオーモは500万人のカトリック信者がいる世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する首都大司教の司教座聖堂であり、その大司教は2011年からアンジェロ・スコラ枢機卿が務めている。

ドゥオーモの最初の石は1386年に大司教アントーニオ・ダ・サルッツォとミラノの領主 ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの要求により、古代からあったサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の場所に置かれた。 宗教改革による中断を経て最初の石が置かれてから約500年後の1813年に完成した。 19世紀を通じて、尖塔と全ての装飾が仕上げられた。

第二次世界大戦中の1943年にミラノは爆撃を受けたが、この建物は連合国側の判断で爆撃を逃れた。そして大戦が終わってすぐ、ドゥオーモは大部分を修復されると共に、木の扉を青銅製に取り替えられた。

ミラノのドゥオーモは世界最大のゴシック建築であり、5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成された。階段またはエレベータによって聖堂の上に登ることができる。


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ドゥオーモ広場の左手にあるアルヴィットリオ、エマヌエーレⅡ世ガレリアーの入り口。

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ガレリアが交差する中心部に人々が群がっている。見ていると、中心部にある牛の浮彫りにかかとを付けて回っている。此処で一回転すると幸福になると言われて居るようだ、牛の局部がすり減っていた。

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11月4日、レオナルド、ダ、ビンチの絵画『最後の晩餐』を見ようとしてサンタ、マリア、デッレ、グラツィエ教会に出かけた。ドアが閉まっている。横の掲示板を見ると月曜日は休館日とのこと。この日が月曜日だったことを忘れていた。

残念ながら中に入ってこの絵画を見る事は出来なかった、裏手に小さな博物館が有り此処を見て回った。明日火曜日はフランスへの移動日、9時開館とのことであるが時間が無い。残念ながらあきらめた。

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このサンタ、マリア、デッレ、グラツィエ教会の左側にある、旧ドミニコ派修道院の食堂の壁にこの『最後の晩餐』が書かれている。

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サンタ、マリア、デッレ、グラツィエ教会横の小路。

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スフォルツェスコ城に入ってみた。

14世紀にミラノを支配していたヴィスコンティ家が建てた居城を、15世紀にスフォルツァ家が堅牢な城塞として改築。改造にはダビンチやブラマンティも携わった。門を入って行き城を通り過ぎると広大なセンピオーネ公園があった、紅葉が始まりかけた林と芝生のコントラストがすばらしかった。大都会の中に静かに時が流れている、すばらしい公園だ。

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黄色く色づきだした楓の葉を透して柔らかな秋の日の光が差し込んでいる。

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スフォルツェスコ城前の噴水。

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ミラノセントラル駅構内に泊まって居たイタリア鉄道の機関車

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エウロスター、シテイ。

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レオナルド、エクスプレス。
5日、この列車に乗ってコートダジューを通ってベンチミグリア(フランスとの国境駅)まで行った。

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フレッチャロサ(赤い矢)、ETR500




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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、イタリア。ローマ編その2

Romaの続き

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サンタンジロ城

Wikipediaより。
サンタンジェロ城(サンタンジェロじょう、伊: Castel Sant'Angelo)は、ローマのテヴェレ川右岸にある城塞である。日本語訳によっては、聖天使城、カステル・サンタンジェロとも呼ばれる。 正面にはサンタンジェロ橋(ponte Sant'Angelo)があり、わずかに離れた場所にあるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれている

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ローマの松。

タラントからナポリに列車で北上してくると、このイタリア独特の松が現れだした。ローマ市内の松もこの松が多い。

この松並木を見たとき、オットリーノ、レスピーギの交響詩『ローマの松』を思い出した。この交響詩の中でも特に『アッピア街道の松』が思いでもあるし、大好きだ。

1960年に開催されたローマオリンピック、この最終日にエチオピア代表のアベベが裸足でこのアッピア街道をひたひたと走ってローマ競技場に1番で凱旋してきた。

第二次世界大戦初期、イタリアはエチオピアに侵攻。
エチオピアはイタリアに屈辱的な支配下に置かれた。そのときから20年近く経って、古代ローマ軍団が凱旋してきたアッピア街道をエチオピアのアベベが裸足で凱旋してきたのだった。

当時まだ21歳だった私はこの実況放送を涙を流しながら聞いたことを未だに記憶している。この松並木を見てそのときのことを思い出した。

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コンタンチヌス帝の凱旋門。
ローマ最大の凱旋門で、地下鉄コロッセオ駅前のアォロ、ロマーノ側にそびえるアーち。215年にコンタンチヌス帝がマクセンティウス帝に勝利し、帝位を手に入れた事を記念して建てられた。高さ21m>

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カンピトリオ。

Wikipediaより。
カンピドリオ (Campidoglio) は、ローマの七丘の一つである。カピトリーノ (Capitolino) ともいい、古代ローマ時代にはラテン語でカピトリヌス (Capitolinus) と言われた。

この丘は、ローマの七丘でも最も高い丘で、ローマ神の最高神であったユピテルやユノーの神殿(ユピテル・オプティムス・マキシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿)があり、ローマの中心であり、現在もローマ市庁舎が位置する。


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ローマの松並木、向こうにコロッセオが見えている。

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ヴィットリオ。エマヌエーレⅡ世記念堂。

Wikipediaより
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)は、イタリア・ローマのヴェネツィア広場に面しカンピドリオを背にして建つ、1870年のイタリア統一の立役者、初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂。

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バルベリーニ広場にある、トリトーネ噴水。

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トレヴイの泉。。
後ろ向きにコインを投げ入れると再びローマを訪れる事が出来るとのでんせつ有名である。
ものすごい人で、おすなおすなの状態、コインを投げ入れたが、この歳でははもう一度ここに来るのは無理だ-。

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ここのオープンカフェでバスタを食べた、当然ビールも。

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通称スペイン階段。ここスペイン広場の前にあるトリニタ、ディ、モンティ階段。オードリーのまねをしてアイスクリームを食べたかったが、ここでアイスクリームを食べることは禁止されている。
ものすごい観光客で、グレゴリーペックもオードリーもビックリだろう。

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テルミニ駅の電光掲示板。

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11月3日、ローマ、テルミニ駅からミラノに向け高速鉄道で移動した。貧乏人は当然2等車。
最新鋭機、エウロスター、イタリア、アルタヴェロチクである・

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列車内、常時時速320Km走行。



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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、イタリア。ローマ編その1。

11月15日。午後1時、曇り、遠くの山は雪雲でかすんでいる。外気温+3.5度、積雪は13cmまで減ってきた。

イタリア、ローマ(ITALY Roma)

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鉄道切符12


イタリアの鉄道切符。上はナボリセントラル駅からローマテルミニ駅までのもの。2等。
下はタラント駅からナポリセントラル駅までのもの。この鉄道切符を持って居るのにバスに乗せられてしまった?

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2012.10.30午後ナポリからローマに列車で入った。予約を入れておいたYHは駅の側のようだ。ここローマ、テルミニ駅を外に出ようとして脅かされた。私の前を猛ダッシュの黒人の若者、その後を追いかける警官。スリの様だ、ローマに着く早々驚ろかされる。この街では気を引き締めなければと思った。

今夜のユースホステルは駅をでて、歩いて5分もかからなかった。

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Hostel Beautiful 2. 10月30.31.さらに11月1.2日と4泊、4Bed Mixed Dorm Ensite。
10月30日のみ1泊19.90€、¥1,890。他の3日は、1泊25.88€、¥2,459。初めてこんな高いYHに泊まった。
Beautifulなんてうそだー、汚くは無いが何がビュウテフルか? それに4Bedなのに3日目に、なにやらお祭りがあり観光客が沢山来ているので、部屋にもう一つベットを入れさせてほしいと5ベットにされてしまった。

朝食付きでは有るが、このYHの受付で食券もらい隣のレストランでパンとカプチーノと卵焼きを貰って食べる。まあ、2段ベットではないし、なにせロケーションが抜群だったので、よしとした。

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食料の買い出しも隣のテルミニ駅の中にあるスーパで買うことが出来る。駅には沢山の店が並んでいる、レストランも沢山有った。YHを出てすぐの小路に中華料理屋があり、久しぶりに中華料理を食べた。

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30日から街に飛び出して、トラムに乗り、バスに乗って市内を歩きまわった。駅のキオスクで市内地図を買い、地下鉄も3デーチケットを買い地下鉄を乗り回していた。

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ローマはどこに行っても遺跡があり、遺跡の中に街が埋もれているようだ。毎日街中を一人だほっつき歩いて居た。でも、常にスリには警戒を怠りなくである。

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30日、ユース同室に初老の女性が泊まった。東洋人の風貌、カトリックの尼さんだった。声を掛けてみるとカナダ在住の日本人だった。もう日本を離れて30年も達つという。少し日本語が怪しい。

31日から始まるバチカンの祭典のため、カナダの修道院から派遣されてローマにやって来たとのこと。あすバチカンに行くので、もし、興味があるなら案内しますからご一緒しませんかと誘われた。ただ、バチカン市国にはいるには前日までに入域許可書を所得していなければ入られ無いとのこと、この尼さんが何とか入手してあげましようと言ってくれた。

翌31日朝早くバチカン市国に電車で行く。電車を降りて歩いて行くと猛烈なひと、途中でこの尼さんとはぐれてしまった。この日は月1度の法王の講話がサンピエトロ広場である日。広場の柵の入り口で警備をしていたスイス兵に許可書を持って居ないが入る事が出来るかときくと、許可書を所持していない者は中には入ることが出来ないと断られてしまった。

この兵は私の顔をじっとみて、入りたいかと聞くので、入りたいと答えると、内ポケットから許可書を出して手渡ししてくれた。ラッキー!

朝8時頃広場に入ったが続々と信者達が広場に入ってくる。法王が広場に現れるのは10時半。こさめが降り続き肌寒い。10時過ぎに法王が広場に姿を現す。人々は一斉に『パパー、パパー』と声を上げる。10時半からお祈りが始まり、全世界の信者の祝福を祈って12時頃、退出していった。

サンピエトロ広場入域許可書

サンピエト広場入域許可書。

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法王は防弾ガラスに守られた車で信者の間を回っている。2012年であるので以前の法王である、この法王は2013年2月28日に退位している。

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11月1日コロッセウムに行ってみた。

Wikipediaより。

コロッセウム(ラテン語:Colosseum, イタリア語:Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。現在ではローマを代表する観光地である

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ローマでの写真が多くなったので2部に分けることにした。次の写真ははその2で。








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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、イタリア。バーリ、タラント、そしてナポリ編

11月14日。寒波がやっと通り過ぎたようだ、雪もやみ、午前には晴れ間もいくらか出て来た。しかし昼からはまた曇り、36cmも積もっていた雪も溶け出して、道路はグチャグチャで歩きにくい。

イタリア バーリ (ITALY Bari)

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2012.10.24日午前8時頃バーリの港が見えてきた。

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古い灯台が見えている

イタリア移動図1

2012年10月26日アルバニアのドレース港を23:00にフエリーで出航。アドリア海で夜を迎え翌27日イタリアのバーリ港に朝8時に入った。出来うれば27日中にナポリまで行くつもりで居たので、すぐにバーリの鉄道駅に移動した。前日時刻表でナポリまでの列車の時刻を確認していたので、バーリ-タラント、タラント-ナポリ間の2枚の切符を買った。

その後ナポリからローマは間は鉄道列車で。ローマ-ミラノ間は張り込んで高速鉄道に乗ってみた。ミラマからは国境のベンチミグリアまで鉄道。ベンチミグリアから国境を越えてフランスのニースまで鉄道、この切符はベンチミグリアがイタリア領内なのでミラノ駅で買うことが出来た。

フランスのニースからフランスのマルセイユ間はミラノ駅では買えず。ニースに到着後にニース駅で買うように言われニース駅に到着後1時間後の列車でマルセイユまで移動、この路線は指定席では無く普通列車で移動。コートダシュールの地中海の景色を楽しんでの移動となった。

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ドレース-バーリ間は1日1便づつ双方の港からフエリーが運行している。両国の出入国処理は船内でおこなわれた。税関の検査は無い。この船はアルバニア船籍の船、イタリア船籍の船も同時間にお互いの港を出港する。

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イタリアのバーリ駅、工事中だった

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バーリ駅のホーム。。

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タラント行きの列車は2階建ての列車だった、座席は2階部分、見晴らしが良い。

タラント (Taranto)

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バーリの駅で、バーリ-タラント間とタラント-ナポリ間の2枚の切符を買っておいた、指定席だったので列車の時刻も決まっていた。。タラントでは発車時間の30分前になってもタラント駅の電光掲示板に切符の列車が表示されない、窓口で聞いてみると駅前のバス乗り場に行けと言う、えー? 列車の切符を持って居るのに。その切符をバスの運転手に見せて乗りなさい、と言う。バスに乗り込むと10人程度しかお客がいない。お客が少ないから列車を運休してバスに切り替えたのかな~。

ナポリ(Napoli)

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2012.10.27.午後5時半過ぎにタラントからのバスはナポリ駅前のバス停に着いた。駅構内に入ってキオスクでナポリの市街地図を買い、予約を入れていたユースを探す。地下鉄に乗って3ツ先にある様だった。すぐ地下鉄に降りる。地下鉄駅を出てユースを探す。迷いながら何とかたどり着いた。古い建物の入り口にある入居者一覧にその名前があった。インターホーンで宿泊予約者と名乗ったら3階だという、リフトは無い、重いリュックを担いで息を切らしながら登ったのに3階にはそのユースが無い。ひょっとしてともう一階上まで上ってみるとあった。

ヨーロッパその他の国では日本で言う1階は地階で日本で言う2階は1階という。ちなみに先日行ったイランでも同じだった。ユースのオーナにこの建物にはリフトが無いのかと聞いたら、このあたりは歴史的景観地区で建物の改造は厳しく制限されていて、リフトの設置は認められないのだと言う。

ナポリで泊ったユースホステル。
Giovann!s Home 10月27.28.29日 3泊、Standard 8Bed Mixed Dorm 1泊18€ ¥1.710。

毎晩オーナーが手作りのスパケゲッティを作って無料で振る舞う。壁には世界ユースホステル協会のベスト1に選ばれた認定書が掲げられていた。でも、オーナーがお客の世話を焼きすぎて、かえってうざったい。そーっとしてほしいと思った。

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ナポリの4日間は毎日雨、または曇りで、あの有名なナポリ湾の絶景は見られなかった。カッパをきてカサをさして、薄汚れた小路を夜まで一人で歩き回った。

ある小路に入っていくと、その小路はアフリカからやった来た人々の住む小路だった。道の両側に露店が並んでいる。ここの黒人達は背が高く、顔つきもヨーロッパ人に似た風貌を持って居る。どうもマグレブあたりからやって来た人々がほとんどのようだった。

店の上には『HALAL』の表示がある。

ハラールとは、Wikipedia より。

ハラール(アラビア語: حلال‎ Halāl) は、イスラム法で許された項目をいう。主にイスラム法上で食べられる物のことを表す。

反対に、口にすることを禁止されている物をハラーム(حرام‎ harām)と言い、この語は「禁じられた」という意味でハーレムと同じ語源である。

イスラム法の下では豚肉を食べることは禁じられているが、その他の食品でも加工や調理に関して一定の作法が要求される。この作法が遵守された食品がハラールとされる。

なお、ハラールとハラムの中間に疑わしいものシュブハ(Shubuha)という概念がある。シュブハな食品はできるだけ食べることを避けることとされている。



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古い教会の建物、中に入って見て回った。

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小路裏の人々が住む居住区、生活の貧しさが見て取れる。

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ワインが樽に入れられて売られている、1.20€とは一瓶¥115くらい、庶民の飲み物なのであろう。

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ナポリの町はゴミだらけ。市内の清掃がほとんどストップしているようだ。壁の落書きも多い。

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どの道路にも無粋なゴミ箱が置かれている、この後行ったフランス、スペイン、ポルトガルでもこれと同じゴミ箱が道ばたに連続しておかれていた。

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ナポリでの感想を一言で表すならば、『猛烈に汚い』である。ゴミの収集がどうもまともにされていないようだ。無粋なゴミ箱からゴミがあふれ出している。

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『吉井』の表示? 日本人の店のようだ。

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路肩に止められた車にはこのようにハンドルにカバーが付けられて居る物が多い。盗難防止だ。

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29日、ナポリの海を見たくなり郊外まで電車で出かけてみた。電車は落書きだらけ、線路上にはゴミが散乱していた。海岸は小雨の中冷たそうな波が岩壁に打ち付けられていた。寒いので早々に引き上げてきた。

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10月30日、ナポリ駅からローマに向かう、在来線ではあったが列車のスピードは時速220Kmまで出て居た










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3月5日は啓蟄、そろそろ長かった冬眠から起き上がることとするか。

3月6日、しばらく冬眠していました。

毎日何もやる気がでず、寝たり起きたりの生活。鬱症状が続いて居ました。昨日は啓蟄、太陽の光にも春を感ぜられる頃になりました。
昨日、2012年のバックパッカーの旅で一部同行したAさんからSkype有り、彼も毎日寝たり起きたりの状況、やはり年寄りにとっての長旅は相当きつかったのかとも思って居ます。気力を使い果たしてしまったようです。

旅行記のBlog、ロシアからフインランド、バルト三国以降の写真が保存されていたSDカードがどこかに行ってなかなか出てきません。帰国した頃は手元にあったのですが? 探す気力も無く時間が経ってしまいました。

致し方ないので今手元にある分からBlogを再開いたします。写真の無いページが続きますが、SDカードが出てきた段階で写真を上げますのでお許しください。


2012.10.31日、バチカン市国のサンピエトロ広場でローマ法王、ベネディクト16世に会いました

2月28日、バチカンのベネディクト16世が退位したことが報道されています。

私は2012年10月31日、ローマ滞在中にサンピエトロ広場に出かけ法王に会うことができました。
まさか、一人で謁見したわけではありません。この広場では毎日曜日に法王が世界中から集まった信者の前に出てきて説教をすることになっているのです。

この年の10月30日、私はナポリから列車でローマに入りました。予約を入れていたユースはローマのテルミニ駅のすぐ横に有り、6時過ぎにチェクインしました。部屋はドミの6人部屋。この部屋にどうも東洋人のような初老の婦人が居て問ねてみると日本人でした。30数年前に日本をでて、現在はカナダの修道院で生活をしている尼さんでした。彼女は数年に一度のバチカンである大祭に参加するためにカナダから一人で来ているとのこと。久々の日本語でたどたどしいところもありましたがカトリックに付いて色々と教えてくれました。

彼女が『明日、日曜日にローマ法王がサンピエトロ広場に出てこられ、世界中から集まった信者に説教をなされるので、一緒しませんか?』と誘ってくれました。只この日には広場は柵で囲われ、整理券を持って居る人のみ中に入る事ができ、整理券は今日土曜日の午後4時で交付は締め切られているので、明日行ってみて中に入ることができなければ、修道女の私が交渉してみますと言われました。

翌10月31日朝7時にYHを出て市電でバチカン市国に向かいました。この日は朝早くに行かなければ広場は満杯になり、前の方には行けないとのことでこの時間に出かけたのです。広場に着くとものすごい人が開門を待つってごっかたえしています。

このとき悪いことにこの人混みの中で彼女とはぐれてしまいました。仕方が無いので門の近くに居た警備のスイス兵の所に行って『整理券を所持していないが中に入ることはできないか』と聞いてみました。警備兵は『整理券の無い物は此処から中に入ることはできない』と答えて、私の顔を見て『どうしても入りたいのか?』と聞いてくるのです。『もちろん』と答えると、マントの中から1枚の整理券を取りだして私に渡してくれました。『グラッチエ、グラッチェ』です。

8時に開門、雨が降り出してきました。上下カッパを着て、傘を差して前へ前へと進みました。広場の前2/3は椅子が敷き詰められています。

法王は10時に出てこられます。私は前から3列目に陣取り、雨の中2時間も待ち続けました。

10時過ぎ法王は建物から出て車で信者の間を回って建物前の席に着かれラテン語で信者への祝福の説教を始めました。この祝福のミサは12時に終わりました。

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法王が建物から出て、車に乗って信者の中を進み出すと一斉に『パパー、パパー』と歓声が上がり出しました。世界中から信者が集まってきています。

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写真がピンボケ気味です。ご勘弁を

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