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北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


"ポルトガル(2012ユーラシア大陸横断の旅)" posts

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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ポルトガル、リスボン編

11月21日、午前9時半、小雨、外気温3.7度

ポルトガル リスボン(PORTUGAL Lisboa

2012.11.17.目的を達してロカ岬からリスボン市内に戻ってきた。泊まったYHはロシオ駅の2階にあった。YHのガラスのドアを開けて外に出ると、目の前にロシオ駅のホームがあり、電車が止まっている。こんな便利なYHは初めてだった、中も清潔で、サービスも良い。

Lisbon Destination Hostel 11月17.18.19 3泊、1泊.17と19は14.99€ ¥1.439 18日のみ13.9€. ¥1.343。

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YHを出て坂を下っていくとロシオ広場にでる。此処から通りの向こうに海が見えていた。次の日からこの海岸縁を散策していた。ところが海だと思って居たのは地図を見るとテージヨ川だったのだ。海の向こうに島があり橋がかかっていると思って居たのは、川の対岸に向けての橋だった。

目的を達して、気が抜けたのか、写真を撮っていたつもりが、カメラにSDカードが入って居なかったりで、ここの街の写真は少ない。

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ロシオ広場

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夕方になるとこのロシオ広場横の小路に出かけてワインを呑んでいた。同じYHに泊まった日本の青年と、シントラからのかえりで知り合った日本人の若い女性と3人でレストランに入り、久しぶりに日本語で旅の話に盛り上がった。

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ロシオ駅のコンコース

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リスボンのバスセンター、夜行バスでスペインのセビリアへ。

2012.11.20.モロッコに行くためにまたスペインに向け移動することにした。リスボンからスペイン南部のアルヘンシラスまでは列車では行けない。一旦スペインのセピリアに出て此処から移動するつもりでいた。ロシオ駅で聞いてみると、この駅は近郊専用の駅で、サンタ、アボローニア駅に行って聞くようにと言われ、仕方なく地下鉄で移動して聞いてみると、セビリア行きの列車は無いとのこと。バスセンターを紹介され、バスセンターにまた移動した。

結局リスボンから夜間バスでセビリアにでて、ここから鉄道でコルドバまで行き乗り換えてアルヘンシラスへというコースを採ることにした。

ここリスボンに滞在していたときに、以前ルーマニアまで同行していた、AさんからSkypeで連絡が入り、スペインに滞在中とのこと。私がモロッコまで足を伸ばすと話をすると、また同行したいと申し出が有り、アルヘンシラスで出会い、ジブラルタル海峡を一緒に渡ることにした。






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『禿爺のユーラシア大陸横断の一人旅』旅行記、ポルトガル。シントラ、リスボン、そしてロカ岬編。

11月20日、曇り、外気温+8.1度。外の雪はほとんど解け家の陰に少し残って居るのみ。

ポルトガル シントラ とロカ岬 (PORTUGAL Sintra Coba de Roca

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シントラの駅前。

2012.11.17日、午前5時頃スペインのマドリッドを前夜出た夜行バスはリスボンのセッテ、リオス(Terminal de Sete Rios)バスターミナルに到着した。

ここは、リスボンの北外れに位置しているが市内とは近郊電車、地下鉄で結ばれている、朝5時では電車も地下鉄も動いていない。ここの待合室で休んでいると1人の日本の青年が話しかけてきた。

彼は30代後半、もう4ケ月もバッカーの旅を続けて居るとのこと、南米から飛行機でスペインに飛び、私と同じバスでリスボンに入ったようだ。まだこの国の予定も決まっていず、ホテルの予約もまだ。リスボンの旅を一緒させてほしいとの申し出があり、承諾した(旅先での知らない人との同行は、特に注意をしなければならないが、もう旅も終わり日が近づいていて、気の緩みがあったようだ)。

地下鉄が動き出したら一旦街の中心部に移動して予約を入れてあるYHに行き荷物を保管して貰い、ロカ岬に行くこととする。

予約を入れてあるYHはロシオ鉄道駅の2階にある。非常に便利だ。青年も一緒に同じYHに泊まりたいという。
7時に地下鉄が動き出したので、市街の中心部まで移動した。地下鉄を上がってロシオ駅はすぐだった。このロシオ駅はシントラに行く鉄道の専用駅で、ロカ岬にはここからシントラまで鉄道で、そこでバスに乗り換えて1時間半くらいで行く事が出来る。

9時過ぎに電車でシントラに向かう。駅前からは30分おきにロカ岬行きのバスで出ていた。曇り空の中をバスは出発したが途中から風が強くなり雨が降り出した。30分後岬が近づいてきて、雨がやんだ、風は幾分残って居る。

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ロカ岬とは Wikipediaより

ロカ岬(Cabo da Roca)は、ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸最西端の岬である。位置、北緯38度47分、西経9度30分。西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島がある。シントラやカスカイスから、バスが出ており、リスボンからの日帰り観光も可能である。

またここには、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」を刻んだ石碑が立っている。また、有料だがユーラシア大陸最西端到達証明書がある。5ユーロと10ユーロのタイプの証明書があるが、どちらにしても証明書には名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれたものを入手することが出来る。

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2012.07.23日北海道の自宅を出て、ひたすら陸路、海路移動にこだわって西へ西へと旅を続けて来た、117日目の2012.11.17日ついに目的地、ユーラシア大陸最西端の地、ここロカ岬に到達したのである。

この地にバスから降り立った頃、あの猛烈な雨と風がやんで、海上には虹さえも現れていた。私の長かった旅の成功を祝福してくれている様に感じた。

予定では11月下旬までにこの地に立てればと思って居たが、11月17日、まだ今月は2週間近くある。ジブラルタル海峡を渡ってモロッコまで足を伸ばすことにした。

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ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」を刻んだ石碑。

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本当に此処から海が始まる景色だ、雲の切れ間から日の光が海に落ち照り返している。

一説によるとこの岬には冬の寒風が吹きすさぶ時に来るといっそう感激するそうだ。

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この岬に2時間程度留ってからバスでシントラの街に引き返し、シントラ近郊の丘の上にあるペーナ宮殿(Palacio de Pena)を見て回った、雲が上がってきて幻想的な景色となった。晴れていればこの宮殿のテラスからリスホン市街がみえるのだが、雲の中に隠れてしまっている。

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その後シントラの街に戻ってきてしばらくこの街を散策した。

この街はリスボンの西北にある古くて美しい街である。バイロンがこの街を「エデンの園」と言ったことは有名だ。

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73歳、我、今まさに青春のど真ん中。

2012年11月17日、現地時間11時17分、ついにユーラシア大陸の最西端ロカ岬に立てリ

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この年の7月24日日本の神戸港を船で旅たち、ひたすら陸路、海路移動にこだわって西へ西へと一人で(途中知人のAさんが同行)リュックを背負い旅を続けてきましたが、11月17日、この日ついに116日目にして西の果てのこの地,ロカ岬(北緯38度47分、西経9度30分)に達しました。

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感激に咽んでいます。多くの人々の励ましを受け、元気にこの地を踏むことが出来ましたこと、心から皆さんに感謝の言葉をお送りいたします。長かった~。ユーラシア大陸は広かった~。

色々な事が有りました。でも常に体の片隅に疲労感を残しながらでも、特別な体調不良もなく、怪我もせず、催涙弾の飛び交う中を逃げ惑い、スリに現金を持っていかれても小額でダメージも少なく旅を続けてきました。また10月に初めて海に入り、ポケーと浜辺で寝そべって青い空と海を見ながら時間を過ごしたことも思いだされます。
泊まったところはユースホステルのドミトリー、ミックス、いつも同室に若いヨーロッパの娘たちが寝ています。ハーレム状態だー。今では若い娘たちのムチムチした体を見てもなんとも感じなくなっています。

旅を続けているうちにすっかり旅慣れして、全くわからない言語の国に入っても何ら戸惑うことも無く、街中を歩き回れるようになりました。ただ先日気がついたのは赤信号の横断歩道を何のためらいも無く渡っている自分でした。この習慣から早く抜け出さなくては日本へ帰ってから困ったことになります。

いま北国の私の住む北海道に雪の便りを聞くようになり、早く帰らなくてはと思う一方の心の隅ではもう少し旅を続けていたいと思う心もあります。
目的は達しましたが当初の心つもりより10日ほど早くこの岬に到達しましたので、後10日ほどアフリカのモロッコまで足を伸ばしてから帰国する事にしました。12月初旬の帰国となるでしょう。


この旅の足跡をご報告して、励ましてくださいました皆様に、目的達成のご報告とします。

旅の足跡

日本の神戸港ーフエリーで中国上海へ。 中国上海ー列車でー西安ーウルムチーカシュガルへ。カシュガルー寝台バスで国境を越えーキルギスのオシュへ。ー乗り合いタクシーでビシュケク。ビシュケクへーマルシュルートカ(ミニバス)でカザフスタンのアルマトゥイ。

アルマトゥイから34時間かけてバスでアスタナー国境を列車でこえロシアのサマーラーへ。列車でボルゴグラードへー列車でモスクワー列車でサンクト、ペテルブルグへ。

列車でフインランドのヘルシンキへ入り。ここから北上して北極圏にあるロバニエミ往復。

ヘルシンキから豪華フエリーでバルト海を渡り、エストニアのタリンへ移動、ラトビアのリガへバス移動。リトアニアのビリュニスにバスで移動ーポーランドのワルシャワーバス移動。ワルシャワからクラコフへ列車移動。ウクライナのキエフへ列車移動。同国のオデッサへ列車移動。オデッサからマルシュルートカでモルドバのキシニネフへ。ここから沿ドニエストルのテラスポリへマルシュルートカで往復。列車でキシネフからルーマニアのブカレストに入るも直ちに列車でブラショフに直行移動。列車でシギショアラへ、列車でブカレストに帰る。

ブルガリアのソフィアに列車で移動、ここからギリシャのテッサラニキにバス移動、テッサラニキから列車でアテネに、ここからエーゲ海のサントリーニ島へフエリーで移動してここに滞在してアテネに帰る。バスでアルバニアのチラナへ、その後海近くのドレスへ列車で移動

ドレスからフエリーでアドリア海をイタリアのバリに渡る。バリからタラントへ列車移動。 ここからナポリへバス移動。ローマへ列車で入り、ミラノへ高速鉄道で移動。ミラノから鉄道を3回も乗り継ぎフランスのマルセイユへ、バスでスペインのバルセロナへ、またバスでマドリッドへ、11月16日夜行バスでポルトガルのリスボンに翌朝入り、直ちに電車でシントラに移動バスに乗り換え、現地時間の11時過ぎロカ岬に到達した。

この岬に近いたとき雨交じりと強い風で有ったが、バスを降りる頃雨もやみ、日がさし出した。海上に虹がかかり、私の到着を歓迎してくれているような天候となった。

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この碑はポルトガルの有名な詩人ルイス、デ、カモンイスの叙事詩『ウブ、ルシアダス』、第3詩、20節の『此処に地終わり、海始まる Onde a terra acaoa e mar comeca』の碑である。

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趣味人倶楽部の旅日記、bLOGの更新が殆んど止まっています。帰国後書きだしたいと思っています。                                                      以上報告まで。



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