HIDEのPhoto BLOG

北国での日々の生活や個人旅行を写真でお知らせします。


"ウズベキスタン旅行" posts

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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO9

11.20日リシタンからいったんコーカンに戻り一泊した後、次の日フエルガナ市に移動しました。

ウズベキスタン フエルガナ地方、フエルガナ市 

フエルガナ8

アル、フアルガーニ公園のアル、フアルガーニ像(9世紀の文学者)。

フエルガナ5

ここは田舎、住宅地の路地。時間がゆっくりと流れている。

フエルガナ4

フェルガナではホームスティーをした。コーカンのゲストハウスでフエルガナの格安の宿を探してくれ、ホームスティーをすることにした。住宅街に有るこのアパートの三階。大学生とそのお母さんの母子家庭家族。一泊20$、2泊した。

フエルガナ6

バスターミナルの賑わい。

フエルガナ1

バスターミナルの隣にあるバザール。ラクビーボール状の果物はうり(中国新疆で言うハミウリ)、メロンである、向こうにあるのはすいか。

フエルガナ3

スイカの運び出し、三輪車が活躍している。

フエルガナ2

スイカとメロン(ハミウリ)売り場。

フエルガナ7

キャベツ売り場。この地フエリガナ地方が農業地帯だということがよくわかる。くだもの野菜が豊富に売られていた。だだ、スイカやメロンは日本では夏の果物だがここでは11月も半ばだと言うのに多量に入荷して売られている。
買って食べてみたいが1人旅の自分とっては大きすぎて持てあますので我慢していたら、メロンをスライスして食べさせてくれた、糖度がが高くみずみずしい、大変おいしかった。お金を払うとしたが受けとってもらえなかった。

そういえばここに来る途中、ロシアのバイカル湖の北のテンダで雪が降り続く中、道端にスイカを山のように積んで売っていた、どうも我々とは感覚が違うようだ。

フェリガナ 人口23万。現在フェルガナ州の州都。町の歴史は1876年の帝政ロシアがホーハンド、ハーン国征服後フェルガナ支配の拠点として築かれた要塞に端を発する。街並はロシア的で緑が多かった。

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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO8

11.18日近くの町リシタンに行ってみた。

ウズベキスタン、フェルガナ地方 リシタン

リシタン4

日本語学級、NORIKO学級を訪ねました。

のりこ学級について詳しくは次を見てください。
http://rjc.bz/noriko.html

リシタン3

中にはこのような教室があり、学校帰りの子供たちがいつでも立ち寄れる様になってます。
昼過ぎになると学校帰りの子供たちが三々五々此処に立ち寄っていきます。久しぶりの日本人だったのか、私を見て先生、先生と言って集まってきます。最初先生と言われ戸惑いましたが、考えてみると、日本語を勉強している彼らにとって日本人は皆先生です。

今勉強している日本語のフレーズを使って盛んに質問をして来ます。小学校の4.5年生、まだ語彙が少ないものから結構話が出来る子まで皆んな積極的に話しかけてきました。中にいた男の子がロシア語を自由に話しましたので少し難しい日本語はロシア語で説明して通訳してもらいました。

リシタン1

此処、リシタンは陶器でも有名な町、門を入ると陶器工房があり陶工が制作中でした。中は展示場にもなっていました。

リシタン2

陶器工房

リシタン5

陶器工房

リシタン7

午後3時過ぎにここの校長をしているガニシェルさんが教室に立ち寄りました、流ちょうに日本語を話します。

NORIKO学級で校長をしているガニシェールさん宅に1泊させてもらう事しました。
ガニシェルさんが『今隣の部屋で妻の友達が集まってお茶をしている、女性ばかりだが、もしよければ、一緒しませんか』と誘われた。
日本と同じように絨毯が引かれた部屋に座布団それに座卓、女性たちがおしゃべり中でした。皆さんインテリ、女医さんばかりででした。ガニシェルさんの奥さんは写真向かって右端の方、産婦人科医です。
1時間半ほど話に入れてもらいました、全員ロシア語は流ちようです。


リシタン6

11月も下旬、冬が近ずいています。ポプラの木もも葉を落としだしていました。この景色、中央アジアの典型的な景色です。

リシタン人口約4万。
ここはウズベキスタンのフエルガナ地方のの南部、キルギスの国境近くの小さな町です。ここでは1.000年以上も前ら、地元の土を使って陶器作りが行われてきました。タシュケントなとで売られている、鮮やかに青と繊細な模様の入った陶器は、リシタンの特産品です。





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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO7

11.16日、タシユケントからフェルガナ地方のコーカンに移動しました。

ウズベキスタン、フェルガナ地方 コーカン(コーカンド)市

フエルガナ地図3

フエルガナはウズベキスタンの穀倉地帯だ。四国と同じくらいの面積の土地に600万を超える人が暮らしていて、人口密度が高い(日本並みの340人/㎢)、現在のフェルガナは基本的には農業地帯で文化的にはかなり保守的な地域である。タシュケントからこの地域に入る為にはカムチク峠(2.267m)経由のルートしか無い。この時期タシュケントのコイルックバザール近くのアフトバクザールから乗り合いタクシーしかなった。途中何回も検問を受けた。

フエルガナ地図2-1

コーカン市(露語ではコーカンド)。
10世紀頃この地にはかってオアシス都市コーカンドが有ったと言うが、現在の街は其れとは別。ここの最盛期は19世紀前半で300ものモスクやマドラサがあったという。現在の人口は18万人。 

コーカン4

フルカット公園の歩道。冬が近づいて来ている。

コーカン2

初冬の早い落日。

カーカン1

街中にはぽポプラの並木が目に付く、これこぞシルクロードの景色だ。

コーカン3

ここには古くからの大小の運河が縦横無尽に張り巡らされているが、この写真の様にゴミだらけ。

コーカン5

ここは田舎、時間がゆっくりと流れている。

コーカン7

この国でも中国と同じく三輪車が多く走っていた。

コーカン6

この中型バスはいすずの物、ここフェルガナに韓国のGM大宇の自動車工場があり、この国にはこのGM大宇の車がほとんどだ。日本製の車はこの中型バスのみだった。

コーカン10

庭に植えられた柿の木。この国のりんごも梨も柿も小さく硬かった。

コーカン8

町の中心部に有ったハマーム(公衆浴場)。時間が無く入られなかった。

コーカン9

小さななモスク。ダフマイ、ジャハーン

コーカン11

金曜モスク、ジャル、マスジテイ。

コーカン12

この時期、初冬は毎朝深い霧が街を覆う、時には午後の2時頃まで霧が晴れませんでした。

タシケントからコーカンへは乗り合いタクシーで移動、到着後心づもりをもしていたホテルに行くと改装中、この後コーカンの街中を歩いてホテルを探すも廃業や改装中で断られやっと5軒目で営業をしていそうなホテルを見つけ飛び込む、外は暗くなりかけてきた。ところが此処でも出てきた留守番の女性が、近々改装工事を始めるので宿泊客を受け付けないようオーナーから言われているとの事であった。

途方に暮れていると留守番の女性は、遠くから来たので疲れているだろう、中に入って休んで行くよう勧めてくました。暖房が入った事務室に通されました。お茶と食事を出してくれて、チョット待ってと、電話をかけて受け入れてくれるホテルを探してくれました。安いホテルがあり宿泊OKとのこと、タクシーも呼んでくれ、送り出してくれました。食事代を払おうとしましたが受け取ってくれませんでした。

今回の旅では各地で親切に対応してもらいましたが、こんなに親切にしてもらったのは初めてです、感謝、感謝でした。








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『50年遅れのバックパッカー』アジア横断旅行記NO6

11.08夜半8時過ぎにウズベキスタンの首都タシュケントのホテルに入ることが出来た

ウズベキスタン 首都タシュケント市

ウズベク17

タシケントで泊まっていたホテル、ロウシャン。中級ホテルの最安値の部屋35$、トイレ、シャワー、テレビあり清潔。

タジキスタンのイミグレーションは問題なく通過したがウズベキスタンのイミグレーションは100人以上の人々で大混乱、タジクの婆ちゃんがもう6時間も待っている、何時になったら入国できるのかと喚いている。観察していると、どうも入管職員がまともに仕事をしていない。一人のパスポートを受け取ると10分以上なにやら調べて、パソコンの画面とにらめっこ、パスポートを机の上に放置して、他の職員と雑談を始じめた、しまいには部屋から出て行って外でたばこをのんでいる。
この所ウズベキスタンとタジキスタンの関係が悪化している。どうも嫌がらせの様だ。2時間以上待ったがいっこうに進まない、我慢しきれなくなり、俺は外国人だ!!日本人だ!、と怒鳴った。入管職員の幹部らしいのが飛んできて、パスポートを見せろという。見せるとすぐに処理して入国できた。後ろで何で日本人を優先するのかと怒鳴っている。
其れを見て中国人の夫婦が自分たちもと言い寄ったが、中国人は最後だと怒鳴り返されていた、ああ、すーっとした。
そんなわけで国境通過が遅れイミグレを出た頃はすっかり暗くなっていた。タクシーに飛び乗って50Km離れたタシケントへ急いだ。8時過ぎにやっとホテルへ疲れ切って飛び込んでいた。ドウシャンベを出たのは早朝5時、ホテル着は夜の8時だった。

ウズベク3

アミール、チムール広場のチムール像。2009年3月にここに来たときは周りに木々が多く公園の林の中にこの銅像が有ったのに今は木々がすっかり無くなっていて銅像が目立つ。


ウズベク4

チョルスゥ、バザール近くの繁華街。

ウズベク5

金曜モスク(ジヤーメ、マスジディ)、15世紀に建立され、最近になって再び礼拝に用いられるようになっている。

ウズベク6

チョルスウ、バザールの賑わい。
このバザール近辺には闇の両替商が沢山たむろしている、警官に見つからないようによく利用させてもらった。

ウズベキスタンに入国したときイミグレは畑の中、近くに街が見えない。入管職員に両替するところが近くに無いかと聞いたところ事務所の裏側に国の正式な両替所があると教えてもらった。行ってみると本日のレートは1$は1.665ウズベキスタンソム(Us)との事、100$両替したら166枚の1000Us紙幣とだら銭を渡された。1.000Usがこの国の最高額紙幣である。
タシケント市街に入って両替え所が見当たらない、聞くと銀行の中にあるが皆バザールなどの闇両替を利用しているとのこと。もちろん違法行為で見つかると捕まる。チョルスバザールで聞いてみると1$は2.225Usだという、これでは馬鹿らしくて銀行の正規レートで両替する人は居ない。
ただ人混みの中で違法両替をすることになり、輪ゴムで止めた100枚の札束を渡され数えることが出来ない、ホテルに帰って数えてみると2.3枚不足している。それでも正規レートより良い、あきらめることにした。

ウズベク2

民族服売り場、この柄がウズベキタン特有な柄。

ウズベク7

バザールの屋外レストラン゛私も昼食をとった、11月半ばというのに暖かかった。

ウズベク1

こんな看板が街中に立っていた。この姉ちゃん中国服を着ている。街中のスーパーでも時々寿司を見ることが出来る。ただ海苔巻き寿司が多くフイルムで包装してある、何時作った物かわからない、とてもじゃないが買う気はならなかった。

ウズベク9

タシケント駅。まだ新しい駅であったがトイレは猛烈に汚れていた。

ウズベク10

駅横のホームへの出入り口。旧ソ連圏の駅はどこでもホームへの出入りは自由、中には車をホームまで乗り入れる事が出来るところが多いい。

ウズベク13

駅の近くにあった鉄道技術博物館。数十車両の機関車、蒸気機関車、列車が展示されている。

ウズベク14

ウズベク16

タシケントのトラム(ロシア語でトランバーイ)。

ウズベク15

タシケントの夕暮れ。

ウズベク12

タシケント駅横にあった中国料理店。

ウズベク11

久しぶりに中国料理を楽しんだ。麺料理とご飯、ヒールで900円位だった。

ウズベク18

ホテル、グランド、ミール前の大通り。

ウズベク19

在タシケント、トルクメニスタン大使。ビザ取得のために何度も通った。


正式国名 ウズベキスタン共和国  面積約45万平方キロ(日本の1.2倍) 人口2.700万人 
首都タシユケント 人口216万人

ウズベキスタンに11.08に入国して、11.25にトルクメニスタンに出国した。この国に長期滞在したのは此処でトルクメニタンのビザを取得する予定だったからだ。

ウズベキスタンの隣国、トルクメニスタン。この国に入国する為にに取得をしなければならないビザには観光ビザとトランジットビザがある。観光ビザは事前にこの国の旅行社に旅行計画を作ってもらい、宿泊場所、移動手段をきめ、その代金を前払いしてビザの申請をしなければならない。その上に旅行中は旅行社の案内員(監視員)が常に付くことになり、その経費もこちら持ち、自由行動は出来ず経費も高額になる。
いっぽうトランジットビザは次に移動する国のビザを持っていれば、5日を限度に発給され、入国後は自由行動が出きる。この国の大使館は日本には無いため他国で取得申請しなければならず、ここタシュケントでトランジットビザを申請することとしたのである。事前に知ってはいたが大変時間がかかった。

この国に入った次の日は1日かけて街の中を歩き回り土地勘を取り戻した(前の年の3月ツアーで此処に2日滞在していた)、そしてトルクメニスタン大使館の位置を確認してホテルからの道を確認しておいた。
10.10日早朝まだ真っ暗な4時過ぎにホテルをでて大使館受付に置かれてある紙に自分の名前を書いていったんホテルに戻った。朝の4時半で既に5番目だった。

なぜこんな事をするかと言えば、ビザ申請受付は11.00から12.30までの1時間半で、事務処理上20人程度しか受け付けていない。10時や11時行ったのでは30番目以下になり次の日にまた来いとなる。其れで受付順の席取りをするのである。
11時少し前に再度行った。11時を過ぎると塀の鉄索を少し開け紙に書かれた順に2.3人づつ中に呼び込まれる。見ていると警備員にお金を握らせ先に入っていく者もいる。

中に入りビザ申請に来たとパスポートを出すと申請書用紙(アンケータ)を渡され、記入して出すとパスポートのコピーを取って、10日後に来いとのこと、10日は営業日かと聞くと営業日だと言う、何度も念を押したが営業日と言う、うへー、土日を挟むと実質14日後になる、あきらめるしか無い。実際にはちょっと早めの12日目に行ってみたら本国から回答が来ていて11.24日にビザは受け取ることが出来た。

次の日はアゼルバイジャン大使館に行った。個々では即日ビザを取得することが出来た。

2週間以上この国に滞在しなければならないので、ウズベキスタンのまだ訪れて居ない田舎に行ってこようと思った。2009年3月にツアーできたときに、サマルカンド、ブハラ、ヒワ、シャフリブスを見て回ったので、まだ訪れていないフエルガナ地方に行って再度ここタシユケントに戻ることにした。

11.16フエルガナ地方のコーカンに移動、以後、リシタン、フエルガナ各市で宿泊し11.23日にタシケントに戻ってきた。


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ウズベキスタン、人々の暮らしと町並み(バザール編)

 5月6日、起床時間4時30分、快晴、外気温+3度。向かいの家のトタン屋根に霜の後が白く残っている。

今日も快晴で昼頃には20度程度に温度か上がるとTVの天気予報が報じている、昨日も暖かだった。久しぶりに桜の花を見に近くの小山の上に車を走らせた。山の麓の桜は満開、標高185mの上は5分咲き、家族連れが沢山集まって桜の下でジンギスカンに舌鼓をうっている。連休の中日でいつもは静かなこの公園の駐車場に数十台の車が停まっていた。
何枚かの桜の写真を撮ったが思うような物は無かった、今日もう一度出かけてみようと思っている。

先月訪れたウズベキスタンでの写真を引き続き2.3度『ウズベキスタン、人々の暮らしと町並み』としてあげたいと思う。

バザール、市場。 この国にもコンビニは見あたらなかったが、スーパーマーケット様な比較的大型の店は有ったが人々はこのバザールの方に集まっていた。比較的最近できた物と思われるバザールには屋根はもちろんガラの窓で覆われたバザールが有る、屋根だけに覆われた物や、屋根はなく、個々の店がテントでできあがった居るバザールもあった。

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ウズベキスタンの歴史的な建造物、最終回(サマルカンド編)

 4月14日、起床時間7時35分。晴れ、外気温+6度。

昨晩と言おうか今朝と言うべきか午前2までパソコンの前に座って旅行の際の写真整理に夢中になっていた。今朝は7時半起床と遅い目覚めであったが、午前中は頭がさえなかった。
今日で『ウズベキスタンの歴史的な建造物』編は最終回とする。

サマルカンド Samrqand の建築物

グル.エミール廟

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グル.エミール(アミールの墳墓)はアムール.チムールが最も愛した孫、ムハンマド.スルタンが1403年病気のため急死した後この地に埋葬されだた。棺の上にはチムリドの家族の墳墓となった膨大な廟が建設された。

レギスタン広場

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シェル.ドルのマドラサ

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2つのドームの廟

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ウルグベクの天文台

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サマルカンド天文台は1018の星のカタログと理論的な序論を含んだ「ウルグベクのジジャ」を出版して世界中有名になった。

アムール.チムールのジュマ モスク

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アムール.チムールのジュマ モスク

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修復されていないモスクの内部

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チムール一族の廟群

ウズベキスタン表紙No5



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